STAP細胞・捏造事件と指導者の自殺

あなたは自分の悪に拠り頼み、「私を見る者はない」と言う。あなたの知恵と知識、これがあなたを迷わせた。だから、あなたは心の中で言う。「私だけは特別だ。」(イザヤ書 47:10)

人の心には多くの計画がある。しかし【主】のはかりごとだけが成る。(箴言19:21)

【Ⅰ】序: 主のはかりごとだけが成る

 今、この御言葉をしみじみと噛みしめている。賢い人間、知識をいっぱい蓄えた人間は邪道に走り、こざかしい計画を練るが、最終的には全知全能の主のご計画だけが成就するのである。それがなかなか見えず、人の計画が成就したように見えることもある。捏造しても見えにくい考古学の領域でさえ、不正は順次暴かれている。まして、実験科学の領域では捏造は成功しないものである。こんなに早く偽りが表に出て来て明らかになるだろうとは予想しなかったので、驚いてはいるが・・・。

 昨年、2014年1月末、世界中を驚かせ、沸き立たせたニュースは、僅か2週間で早くもボロが暴き出された。その決着がまだ付いていない昨年3月、この欄に「1 STAP細胞への道」というタイトルでその概要を紹介した。ES細胞、iPS細胞、そしてSTAP細胞に関して何回か講演をし、また、ブログではその進展を追って実に26回に亘って書き連ねた。

 今、2015年2月初旬、あの華々しい記者会見から1年を経て、「科学」という意味では終息に至ったと思われるので、一応のまとめをすることにした。筆者が科学の講義をするときに、第一時間目に学生たちに次の聖書の御言葉を与える。この御言葉の真の味はなかなか血となり肉とはならないことは、筆者自身がよく分かっているが、それでも敢えて学生たちにしんみりと語るのである。

【主】が知恵を与え、御口を通して知識と英知を与えられるからだ。(箴言 2:6)

 非常に重要な問題であるが、理研及び日本の科学界の本質的な大掃除は今後の課題であり、それに関しては、どうかなおざりにしないで貰いたいと祈る。泥まみれにしてしまった日本の科学界は、せめてこの汚辱を拭って欲しいと願うのである。捏造問題に関しては、訴訟に発展する気配も出ているが、それは別の次元に入ったものと考えられる。

【Ⅱ】遅れを取った日本人の喘ぎ

 アメリカのベル研究所で高温超電導の論文を捏造したヤン・ヘンドリック・シェーンと、韓国でES細胞の論文を捏造した生物学者の黄禹錫と共に、小保方氏のSTAP論文は、世界の科学者の間で「世界三大研究不正」に数えられている。日本の科学界の信頼を失墜させた小保方氏の責任は計り知れない。日本の科学界が信頼を取り戻すために、今後大きな負荷を背負わされたことは間違いない。

 江戸幕府が始まって以来、地球上に日本だけしか存在しないみたいな錯覚の中で、ある意味で平和な260年余を謳歌して日本独特の文化を育んできた。鎖国を解き、良くも悪くも外国に目が開いて、とことん遅れて「文明」と「陣取り合戦」の世界に日本は足を踏み入れた。「文化的な科学」ではなく「文明一色の科学」にも遅れを取っていたが、日本人は陣取り合戦の方に目が向いて、第二次大戦に至るまで一挙に走り通した。

 武力戦争に無条件降伏をした日本は、今度は「経済戦争」に突入したが、「文明一色の科学」は「経済戦争」の片棒を担ぐ、言うなら同じ船に乗る仲間であった。1949年、湯川秀樹が日本人初のノーベル賞を受賞し、日本中が沸き立った。敗戦によって万事に元気がなく、みじめであった、大阪弁で言うと「しょぼくれていた」占領下の日本にもたらされたこの朗報は、日本人が一挙に自信を取り戻すきっかけになった。

 「追い付け、追い越せ」の社会現象の内、経済戦争の行き着いた先の新たな「敗北」を、日本人は身に浸みてよく知っている。確かに良いことはあっただろうが、外国からはエコノミックアニマルと蔑みを浴びせかけられ、内的には人々の心が荒み、バブルがはじけると収拾が付かなくなった。そして最悪の事態、2011年3月11日の福島原発事件にまで発展してしまった。

 「科学戦争」は大小様々な歪みを生み、何でも「科学、科学」と人の幸せは脇に置いて社会はより高度の物を追求してきた。学校を出れば良いかの如き社会風潮の中で「オーバードクター」(博士号を取得しても職がない)の現象を生じた。筆者が大学院生になった1960年代半ばには既に、論文を質ではなく数で数える風潮が蔓延していた。「研究職」にやっとありついた人々は、何が何でも数を稼いで上の地位を獲得するための泥沼戦争に突入しなければ負け犬になってしまうのである。この風潮の行き着いた先が、不正を働いても捏造してもという、STAP細胞事件で象徴される研究者の社会のドロドロである。

【Ⅲ】華々しい記者会見の底辺で蠢いていた野望

stap_2_1.jpgSTAP細胞発表会見
 「全く新しい万能細胞。私も最初は『信じられない』と思ったぐらい」。笹井氏は1月末、STAP細胞論文の発表記者会見に、小保方晴子ユニットリーダー、若山照彦・山梨大教授らと顔を並べ、笑顔を終始絶やさなかった。

 世界中の人々が称賛し、ノーベル賞も近いなどともてはやしたが、あれから僅か半月後、各種の疑惑が持たれ事態は一変し、半年後に論文を撤回、かつて褒めそやした、その同じ人々が小保方叩きに回った。そして、7ヶ月後に笹井氏の自殺という最悪の幕引きとなった。示しているイラストは日本の科学の汚点となり、捏造であると断じられた代物であるが、いつの日かインターネットから姿を消すのであろうか。

【Ⅳ】2月不正発覚後、笹井氏の自殺までの経緯

2月18日 疑義の指摘を受け、理研が調査委員会を設置した。

3月10日 共著者の若山照彦・山梨大教授が論文撤回を呼びかけた。

1月末の記者会見以前から若山氏は既にSTAP細胞作成の追試を開始して成功していなかった。実験を数十回も繰り返し、再現性のないことをこの時点で既に確認していた。そのために疑義が生じた時に、撤回を提言した。共著者である若山氏が再現することが出来なかった事実を、笹井氏は知らなかったのか?

3月 STAP細胞論文の疑惑の調査が進んでいた3月に、笹井氏は「副センター長を辞めたい」と辞任を申し出ていたが認められなかった。心理的なストレスを理由に約1カ月の間入院した。

3月11日 毎日新聞記者と交わしたメールで笹井氏は、理研の対応の遅さに対し、「なぜ、こんな負の連鎖になるのか、悲しくなってくる」と心境を綴っていた。

3月14日 小保方氏抜きで理研は会見を開き、トップの野依良治理事長は「未熟な研究者がデータをずさんで無責任に扱った」などと小保方氏を非難。

3月29日 笹井氏はメールで、「STAP現象そのものはリアルなものだと思っています」と述べる。

4月1日 調査の最終報告。論文の不正を認定した。

理研の調査委員会の最終報告は、論文の不正行為について「小保方晴子・研究ユニットリーダー個人によるもの」と認定する一方、笹井氏と、責任著者のもう一人の若山照彦・山梨大教授に対し、「不正行為はなかったが責任は重大」と2人のベテラン研究者の責任に言及した。

4月9日 小保方氏が会見。論文撤回に同意しないと発言。

4月16日 笹井氏が3時間20分に及ぶ記者会見。STAP細胞存在の可能性を強調。

5月8日 理研が小保方氏の不服申し立てを退け、不正認定が確定。論文撤回を勧告

6月3日 小保方氏が論文撤回の同意書にサイン

6月12日 理研の改革委員会が会見し、論文の徹底検証を提言。第三者委員会によるCDB解体提言

6月16日 第三者機関による解析実験の結果を若山氏が報告
      若山研由来のマウスと小保方氏が使ったマウスは別のマウスであったと発表

7月1日 小保方氏が参加する形の検証実験を開始

7月2日 論文を撤回。笹井氏:「研究者として慚愧の念にたえない。痛切に後悔し反省している。」

8月5日 笹井氏自殺。遺書にはSTAP細胞の存在を確認している原則に基づいて書かれていた。

【Ⅴ】笹井氏は不正を見抜けなかったのか?

過誤・不正に関する認識・・・言い訳に徹し責任回避
 日本の社会では死者を悪く言うことは忌み嫌われ「死者に鞭打つ」行為はしてはならないとされる。死ねば「仏」になり、何もかも浄化されると考えられるからであろう。確かに、死者は反論できないということもあり、死を以て「抗議した」のか「償いをした」のかはいざ知らず、憐れみが掛けられて全て水に流してしまうのかも知れない。しかし、日本の科学界を泥まみれにしてしまった出来事を整理する責任は理研や関係者一同にあるだろう。事件発生後、その経緯をブログでまとめて報告してきたという行きがかり上、筆者も整理をしておかなければならないという気がするのである。

 STAP細胞論文に不正が指摘された問題で、笹井氏は混乱に対して謝罪する一方、「私の仕事としてSTAP細胞を考えたことはありません」と、逃げの姿勢を取り、不正を見抜けなかったことへの責任は回避する発言に終始した。「データの過誤は論文発表前には全く認識しておらず、過誤を見抜けなかったことについては慚愧の念に堪えない、検討が不足していたとの指摘は真摯に受け止めている」と発言した。一方で、画像の捏造疑惑が持ち上がり、理研がデータの提出を迫った2月中旬には、問題の画像を差し替えておくよう内々で小保方氏に指示するなど、「隠蔽工作」ととられかねない行動を取ったそうである。ES細胞の第一人者、この聡明な専門家は、いくら遅くとも、2月中旬にはことの重大性に気が付いていたはずだという推量を裏付けるような行動である。

 そして、若山氏の名前を繰り返し挙げ、暗に若山氏側の責任を指摘した。万能性を確認する柱となるSTAP細胞由来の細胞が全身に散らばったマウス(キメラマウス)の実験についても「それは(実験した)若山さんが見ている」「実験は研究室の主宰者に管理責任がある」と述べ、責任著者になったのも「若山さんらに要請された」と説明した。

 4月の記者会見で、笹井氏は「論文のデータは若山研究室で作られたものであり、また小保方氏はリーダーであり部下ではないので、大学院生に対するようにノートを持ってこいというようなぶしつけな依頼は難しかった。小保方氏の実験ノートを事前に見ていなかったので問題を見抜くのは困難だった」と釈明した。後で述べるが、若山氏の潔さに比べて、この笹井氏の責任転嫁の様々の発言はどうあっても赦せないという気がするのである。

早い時期に見えていたのではないか?
 科学者としての笹井氏の輝かしい業績を思うと、このようなことで優秀な科学者が絶望の中で死を選んだことに、筆者は堪えられない思いがする。何故、死ななければならなかったのだろう? 

 見事と言うほか無いほどに数多く出て来た不正を、彼ほどの優秀な科学者が何故見抜けなかったのだろう? この「非常識極まる」論文、「危なっかしい」論文を世に問うのである。生物学者として、慎重の上にも慎重に、バカじゃないのと思われるほどに慎重に取り扱うべき論文であることが解らなかったはずはない。それなのに、何故道を踏み外してしまったのか? ある人々は言う・・・「かつては自分が前を歩いていたのに、いつの間にか山中教授に先を越されてしまったことが痛恨の極みで、研究者としての名声に目が眩んで見えなくなったのか、全てを投げ打っても補って余りあるほどの魅力が、小保方氏とSTAP細胞にあったのだろう・・・」と。

 論文執筆の最後に短期間関わっただけであったという申し訳を、本気で聞くべきであろうか? 疑義が出て来た段階で、これまでも筆者はそのことに再三触れてきた。彼は非常に優秀な専門家である。データを眺めたら、その論点を見抜く慧眼を持っていたに違いないと思う。大勢の人々が指摘した不備が彼には見えなかったとでも言うのだろうか? 本当に不正を見抜けなかったのか? あるいは小保方氏を庇っていただけなのだろうか?
理研内部では「著者の間に議論がなく、共著者が責任を感じにくい環境になっていた」と笹井氏は釈明し、また、「複数のベテラン研究者が複雑な形で参加する特殊な共同研究だった」と、自らの責任を回避しているとも解釈できる発言を続けた。

 上に述べたような信じられないほどの逃げ腰、無責任な言い訳などを考えると、笹井氏は実は逆に「見抜いていたのではないか?」と、ふと思う。筆者はもとより笹井氏の人となりを知っているわけではないので、彼がそれほどに無責任極まる人間であったとすれは論外ではあるが、普通の科学者であったなら、「隠蔽工作」とも取れるような、あるいは責任転嫁とも思えるほどの振る舞いをしたということは、実は全てを見透かしていたためではないかと思われるのである。そして、だからこそ、逃げ場を失ってしまったのではないか? ふとそんな気がする。

2月に不正発覚後のSTAP細胞の評価に関する発言
 笹井氏は不正認定後も、記者会見でSTAP細胞研究の有望さを主張している。「STAP現象が存在しないと思ったら共著者にはならなかった。データの信頼性がきちんとあったと確信を持っている」とも発言した。これを裏付けるかのように、2月下旬、すなわち不正が発覚してから、CDB所内の懇親会で、目を輝かせて「STAP細胞研究を一緒にやろう」と研究仲間に声をかけた。その様子を見た研究者は「疑惑にも『大丈夫』と断言し、自信があるんだと思った」という。

 4月になって小保方氏は、「200回以上も成功している」と断言した。望まれれば、「どこでも再現実験をしてみせる」とも語っていた。しかし、これは「ウソ」だったと断じざるを得ないと思われるのに、笹井氏はこの言葉を本当に「信じた」のだろうか。この会見を開いて小保方氏を庇うように「STAP細胞は本物の現象」だと主張していた。「(STAP現象は)十分検証する価値のある合理性の高い仮説」などと自信を見せていた。

彼が十分検証する価値があり合理性の高い仮説だとした科学的な解説の要旨は以下のようである。

  • STAP現象を前提にしないと説明できない部分がある。
  • ライブセルイメージングは自動的に撮影するため、人為的なデータの操作は実質上不可能である。
  • STAPは特殊な細胞で、ES細胞など他の細胞とは全く異なり、混入することは考えられない。
  • キメラマウス実験でも、他の細胞(ES細胞など)が混入しているとは考えにくい。
  • STAP現象は現在、最も合理的な仮説として説明できる。

 しかし、日本分子生物学会副理事長の中山敬一・九州大教授は「これらの説明では新しい証拠が示されておらず、STAP現象以外の可能性を排除できるとは思えない」と断言。またSTAP細胞作製の段階ごとに難しさがあると述べたことにも、「手順通りにやって再現できないなら論文は成り立たない」と批判した。

 こうして笹井氏は最後の最後まで、STAP細胞の存在を信じているような遺言を小保方氏に残したのである。小保方氏に宛てた遺書は、STAP細胞の存在を確信し、一人置いていくことを詫びて、そして激励している。末尾には「絶対にSTAP細胞を再現してください」と検証実験への期待を込め、「実験を成功させ、新しい人生を歩んでください」と書いてあったという。

 この遺書に関しては、ブログにも書いたように、笹井氏はSTAP細胞に絶望したからこそ死を選んだのではないだろうかと思われる。 発言はあくまでも建前で、本音は存在を否定していたのではないだろうか。そして自分が死ぬのにこんな無責任な遺書を残して、未熟な小保方氏に全責任を負わすのは怪しからんと思った。もし、存在を確信しているのなら、死ぬことはない、頑張れたはずだと思うからである。科学者であるから、何が失われたとしても、この大切なものを失わないという確信があるのなら研究に希望があり、決して死なないだろう。

 一方、論文の責任著者のもう一人、若山氏は、確かに2年に亘って関わってきて、小保方氏が作製したSTAP細胞をマウスの受精卵に注入し、STAP細胞由来の細胞が全身に散らばる「キメラマウス」を作る実験を重ねた。したがって、笹井氏とは当然、理解の程度には雲泥の差があるが、「僕の責任も大きい。反論しません」と言った。2011年4月〜13年2月まで2年近く、当時理研にあった若山氏の研究室に。小保方氏は客員研究員として在籍していた。若山氏は「価値のある研究と思った。僕が『おかしい』ということを突き止めておけば、他の人が信じるのを防げたかもしれない」と悔やんだ。自らの研究室で実験していた小保方氏の実験ノートを確認しなかったことを明らかにし「一度でも見ていれば信頼性に疑いを持てたかもしれない。申し訳なかった」と、小保方氏のずさんさを見抜けなかったことを謝罪した。

 若山氏は13年3月に山梨大に移った後、STAP細胞の再現実験に数十回取り組んだものの、一度も成功しなかった。できるのは小保方さんしかいない。小保方氏にも、アドバイスを求めるため何度も状況を伝えた。「共著者である責任と、自分の研究室は再現性を重視してきたことから、論文が受理されるまでに何とか再現したかった。しかし、成功できず焦りが強くなった」と当時を振り返った。また、今年1月末の記者発表時、「作製は簡単」と説明されたことでさらに不安が募り、3月10日に論文撤回を呼び掛ける直前まで実験を繰り返したという。

 そして、STAP細胞に関わる様々な解析結果で不自然さが指摘されていることを踏まえ、「(論文には)信じられるデータは一つもないような気がする」と述べ、STAP細胞の存在に疑問を投げかけた。若山氏は「失敗を経験した僕が一番、真剣におかしいと思える立場にいた」と、いち早く撤回を呼びかけた背景を説明した。

 如何に著者の間に議論がなかったとは言え、若山氏が論文発表の前からSTAP細胞に対するこのような懸念を持っていたとすれば、二人の間に話し合いがなかったというのは解せない気がする。あるいは話し合いが仮に全くなかったとしても、STAP細胞に関して湧き上がってくる数々の疑義を熟知していたはずである。若山氏の理解とこんなにも大きな食い違いを生じるのは理解に苦しむところである。

 確かに言葉だけは見事にSTAP細胞の存在を信じている発言を繰り返しているが、それと裏腹に笹井氏が挙げた根拠は説得力に乏しいものであった。彼がすでにSTAP細胞を棄てていたからではないだろうか? 中山九州大教授が指摘したように、具体性を欠き、反論の余地をいっぱい残している「根拠」である。筆者もブログで何度も指摘したが、実験ノートや、生データが一切出て来ないときに、遠くにいる全くの第三者でさえ、「おかしい」と思ったのである。あれは実験ノートではない、ただの紙っぴれ、電話機のそばに置いたメモ用紙以上のものではないと書いた。そばにいた笹井氏が、それに気が付かなかったなどということ等、あり得ないと思われる。 

【Ⅵ】なぜ自殺に追い込まれたのか

心理的なストレス・入院
 笹井氏は論文に対する疑惑が次々と指摘されていた3月、心理的なストレスを理由に約1カ月の間入院した。捏造などの論文不正を認定した理研の調査委員会は、笹井氏の直接の不正行為は認めなかったものの、「責任は重大」と指摘した。

 笹井氏が不正をしたわけではないだろう、捏造をしたわけでもないだろうと思う。確かに、誇り高き優秀な科学者として、その誇りがズタズタに引き裂かれたということはあるだろう。しかし、どう考えてもそれだけで自殺の理由になるとは思えないのである。

 彼の研究塔が建設中だったという。笹井城と呼ばれていたそうであるが、それを失う痛みは大きかっただろう。何も持たない凡人には理解出来ないことではあるが、しかし、それでも、その栄華の城を失っても、一番大切なものを奪われたわけではないだろう。不正を働いたのは別人である。彼が言ったように「最後の2ヶ月」だけ、論文執筆の手伝いをしただけなら、不正を見抜けなかった不明を恥じ、責任があっても、それ以上では無いはずである。概略的には、立場的に若山氏と大差はない、いや実験をしなかっただけ若山氏の責任よりむしろ軽いように見えてしまう。

 研究者たちは業績主義の競争に駆り立てられ、短期間で成果を出すよう求められてストレスがかかっている。CDBはアベノミクスの成長戦略の中核、再生医療の研究拠点だ。笹井氏は業績主義に押し潰されたのか。

 マスコミが激しくバッシングしたのかも知れない。殺人に等しいマスコミの行動の恐ろしさは、一般人には理解出来ないものがあるようである。パパラッチは多くの人を肉体的にも殺し、精神的に追い詰め、様々なことをしでかしている。今回のSTAP細胞事件でも、よもやと思ったがNHKの記者がパパラッチ行動をしていた。したがって、どれほど笹井氏を悩ましたかは分からない。一旦、警察やマスコミに睨まれたら最後、果てしも無く苦しめられるようである。

 ここで警察やマスコミの凄まじさを表している一例を、ついでに言及しておこう。笹井氏自殺後のことである。遺書がその場に3通あり、その内の1通が小保方氏宛だったという。・・・自宅に家族宛の遺書があったという報道は後でなされた。いずれにしても、遺書は究極の私信である。それを遺族の許可なしに、そして宛名人、すなわち小保方氏の許可なしに、何故警察は開いたのか! そして、さらに怪しからんことは、内容をマスコミにばらして、大衆の目に曝すようなことをしたのだ! 全く、警察は恐ろしい権力である。マスコミも恐ろしい、化け物のような存在である。そして笹井氏の遺書が警察にかってに開封されたことや、そしてマスコミに公表され、それが報道されてしまったことを異常とは思わない日本の社会は歪んでいる。

 マスコミ以外にも、理研の内部で厳しい追及に曝され、嘲りの眼差しで見られたかも知れない。何しろ、理研の幹部は信じられないほど利己的で、冷たい、欲の塊の人々の集団であるようなのが今回の事件を通して見えてきた。しかし、それでも、笹井氏は科学者として多くの業績を挙げているのである。死ぬほどのことはなかったのではないか、とやはり思ってしまう。小保方氏については、弁護士が付いていたのではあるが、自殺するのではないかとかなり心配したのだが(実は、主の護りの中に入れて下さいますようにと、彼女のためにはかなり祈った)、よもや笹井氏が崩れ落ちるとは予想もしていなかった。

不正を見抜き、STAP細胞の存在を理性では否定していたのではないか?
 笹井氏は家族をどん底に突き落とすことになることを知っていながら、耐え抜くことが出来ないで死を選んだ。彼が発言した通りにSTAP細胞の存在を信じていたら、どんな非難にも耐えることが出来ただろうという気がするのである。先にも書いたように、彼が論文執筆を助けたのは、単なる文章の整備や、データの示し方などではなく、論文の根幹に触れる重要事項であった。ES細胞の専門家であり、研究経験が豊かで聡明な科学者である彼は、このような形で論文に関わっていたのであるから、論文の問題点が数多く指摘された時点で、根本的な問題点まで見抜いていたのではないか。

 問題をしっかり認識していたにもかかわらず、それを是正しない、あるいは出来ないままに投稿してしまった! 他からの指摘が積み上げられる中で、そのことを告白できないで、かえって小保方氏のウソの上塗りをしてしまったとしたら・・・・。笹井氏の心の内の苦々しさは如何ばかりであっただろうか。この時点で若山氏の言及に何故耳を澄まさなかったのだろうと、残念無念の思い、後悔の念で胸を塞がれたことであろう。若山氏の見解をしっかり聞いてさえおれば、笹井氏は身を滅ぼすことはなかったのではないか。

 自身のしでかした取り返しの付かない過ちに逃げ場を見つけ出すことが出来ず、悶々としたのではないか! ただの憶測にすぎないが、・・・優等生の道をまっしぐらに歩んできて、挫折を知らない世間知らずの科学者は自分を亡ぼすことしか出来なかったのか? 彼は正直に告白する機会はかなりあったのに、その折角の機会、節目に告白する勇気を持たなかったのではないか? 

 一方の若山氏は科学者としてなすべきことをしなかったことを明確に述べて自分の責任に言及している。先に記したように論文発表以前に始まり、3月10日に論文撤回を呼びかけるまでに、データやその他からSTAP細胞の存在を否定できると判断していたのである。若山氏がそこまで辿り着いていたのである。ES細胞の専門家である笹井氏が真実に近づけなかったわけはないだろう。さらに、若山氏と詳細な議論がなかったとしても、多少の話し合い位はあったであろうし、笹井氏に仮に一抹の迷いがあったとしてもその心を払拭し、決心を促すことが出来たはずであった。

理研幹部の業績追求主義・部下に鞭打つ無責任 / 冷酷
 竹市雅俊センター長は「非常に苦しい状況だったのは明らかで、もう少し我慢してほしかったなと思います」と笹井氏の自殺に際してこのような発言をした。ことここに至っても、こういうことをヌケヌケと言うセンター長には、正直がっかり以上の不信を覚え。虫唾が走る。こんなことに至ったそもそもの責任の重さを、彼は自覚していなかったようである。

 危機管理コンサルタント会社「リスク・ヘッジ」の田中辰巳社長は「不祥事に巻き込まれると、親しい人が手のひらを返すように離反して人間関係が崩壊します。頭が良く理路整然としている人ほど、そんな理不尽な状況は耐え難い。また、失うものが大きいほど精神的ダメージも深い。笹井氏は慎重なケアが求められる典型例です」と言い、「精神的に追い込まれた部下に『我慢』を求める上司は管理職失格です」とも言う。筆者も同感である。

 笹井氏は、副センター長を辞任したいと申し出たのに、辞めさせてもらえず、言うなら生殺しのような状態に置かれ続けたのである。改革委の委員長を務めた岸輝雄・東京大名誉教授は「改革委の提言に沿って、理研が速やかに笹井副センター長を交代させ研究に専念させていれば、不幸な結果にならなかったのではないか」と指摘している。

 STAP問題における『危機の本質』を理研が理解していないから事態がここまでこじれたのです」と田中氏は言う。「危機の本質」とは、ずさんな論文を発表したこと、それを大々的にPRして日本の科学技術の信頼を失墜させたことの二つである。「ずさんな論文の責任の重さは(1)小保方晴子・研究ユニットリーダー(2)笹井氏(3)理研の順だが、大々的なPRの責任は(1)理研(2)笹井氏(3)小保方氏の順」であると指摘する。彼は若山氏については一切述べていないが、筆者は若山氏の責任も(4)としてつけ加える。

 ブログでも指摘したが、小保方氏をピエロにして踊らせた理研の幹部連中は、笹井氏と若山氏を「防波堤」にして逃げ通そうと企んだように思える。いつでも、一番の責任者は逃げてしまうのは政治家も、このような研究機関も同じなのだろう。政治家や官僚は秘書が責任を負い、下手をすると秘書が自殺してケリが付いてしまう。今回も、この「防波堤」の一人が自殺してケリにしてしまうのだろうか?

【Ⅶ】結語

 マスコミに発表されている以外に真情を吐露した遺書が遺されていれば別であるが、伝えられている家族や小保方氏、理研への遺書だけが全てであるなら、笹井氏が何故死を選んだのかは永遠の謎のまま幕引きになってしまうのだろう。折角与えられた尊いいのちをこのようにして無残に亡ぼしてしまったことは辛く悲しいことである。誇り高き笹井氏が人生で初めて挫折を味わってボロボロになったとしても、心を置かずに語り合える友人がいなかったのだろうか。仮に友人がいなかったとしても、互いに支え合い、いたわり合う家族がいたであろうに。理研の上司が陰に陽に鞭打つような言動があったとしても、彼は頑張る必要は無かった。理不尽ないじめなどどこ吹く風と頭の上を通り過ぎさせて、全てを投げ出しても良かったのではないか? 

 彼は与えられた才能を十二分に使って、それを授けて下さった創造主に応えたのである・・・彼はクリスチャンではなかったと思うのでそのような視点はなかっただろうけれども、いずれにしてもいのちを精一杯燃やし続けて、生命の研究をしてきたのである。心身共に休息し癒されたときに、新たな道が見えてきたのではないだろうか? 人は全能の神の御姿を映して創造された存在であり、それほどに尊いいのちなのである。自分のいのちを愛おしみ大切にする心は、いのちを授けて下さった全知全能の神がいのちと共に下さったものなのである。

 全てのことを熟知しておられる愛である神は、ご自身の姿を映してこの地に尊いものとして人を創造なさったときに、そのことを示し、人が幸せになる秘訣、正しく生きる道、真実、真理を教え諭すために聖書を与えられた。

 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。(伝道者の書 12:1)

 STAP細胞事件の顛末の整理はこれで締めくくることにするが、様々に述べてきたように事件は「起こるべくして起こった」という気がする。世界の、と言わぬまでも日本の科学界の堕落という土壌で最高に泥にまみれた理研という組織に蠢く人々、そこで喘ぎ回った同じ穴の狢であった小保方、笹井、若山氏などが見事に罠にかかり、ある意味で餌食となって醜態をさらした。本来真理を追究するはずの職業人であるこの人たちが、真実とは真理とはという設問を大切に取り扱い、きちんとした世界観・死生観を築き上げていたら、誘惑に惑わされて道を踏み外すことはなかっただろう。

 心を尽くして【主】に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。自分を知恵のある者と思うな。【主】を恐れて、悪から離れよ。それはあなたのからだを健康にし、あなたの骨に元気をつける。(箴言3:5~8)