5. 一日一時代説

なぜなら、この世の知恵は、神の御前では愚かだからです。こう書いてあります。「神は、知者どもを彼らの悪賢さの中で捕らえる。」 また、次のようにも書いてあります。「主は、知者の論議を無益だと知っておられる。」(コリント人への手紙第一3章19,20節)

【Ⅰ】序 創造の六日間

1day1priod_1.jpg 右図にまとめられているように、全知全能の主が緻密に企画された設計図に則って、一日一日の創造を行われ、そして「夕があり、朝があった」という言葉で明確に区切られて、一日の御業の終了を告げておられる(創世記1章5, 8, 13, 19, 23, 31節)。

 主には、無駄は全くない。創造の6日間のその一日一日が完璧であり、そしてそれが、「夕があり、朝があった」という珠玉の言葉で締めくくられているのは、この言葉が重要な意味を持っているからである。地球は一日目から自転を始めていた。したがって、この区切りは、24時間以外にはあり得ないのである。
 にもかかわらず、ある人々は「創造の一日は24時間ではない」などという愚かな戯れ言を繰り広げ続けている。

【Ⅱ】一日一時代説 

1day1priod_2.jpg 前項「創造の一日は24時間」で簡単に説明したが、聖書に書かれている通りの順序で創造は行われたが、創造の一日は自然の1日ではなく、一日は千年であるとか、地質時代(古生代、中生代、新生代などと区分されている数十億年にわたる時代区分)の一時代に当たると考える説である。漫画化して図に示しているように、聖書の一部、すなわち創造の7日間に関してのみ、一日を搗きたての餅のようにギューッと引き延ばして考えようとしている。この考えの基盤には進化論が深く強固に根を張っており、その根底から派生する地質年代を取り入れて、聖書を解釈したのである。全創造の期間は数十億年であったと考える説である。そして、現在は第七日目であるとする考えが、これに付随している。

 そしてこの考えの聖書的裏付けとして必ずと言って良いほど上げられるのはペテロの手紙第二3章8節で、「主の御前では、一日は千年のようでありと書かれている通りですと説明される。そして、「聖書は、聖書の御言葉で理解するのです」というご丁寧な注意が付いてくるので簡単に騙されてしまう。

【Ⅲ】一日一時代説の聖書による検討

(1)ペテロの手紙第二3章8節
 「一日は千年のようであり」という一言を取り上げて、一日は千年、万年、百万年、言うならどうでも良いのだというように誤用されているのである。しかし、これに続けて、「千年は一日のようです」と書かれていることは無視されているのである。

しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。

 しかし、本質的にさらに重大な間違いは、この御言葉は裁きのことが語られている文脈であり、創造の時のことが語られているのではないということである。御言葉の文脈を無視して得手勝手な解釈を施しているに過ぎないことは明らかである。

ペテロの手紙第二3章6~9節
当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。
しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。

しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

(2)創造の御言葉
 「夕があり、朝があった」(創世記1:5,8,13,19,23,31)という記述は、この一日が24 時間以外にあり得ないことを示している。

(3)聖書による検討 ・・・・ 1週間の設定
 聖書の他の箇所でも、この結論が裏付けられており、実は、1週間は7日という設定は聖書によってなされたのである。

それは【主】が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、【主】は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。(出エジプト記20章11節)

【Ⅳ】生物学的、科学的破綻

 創造の日の一日が、仮に千年だったとしたらどのようなことが起こるだろうか。 
第3日:花・種・果実をつけて植物は創造されるが、花はほとんど受粉しない。 植物が育つためには、土から養分と水を得て、空気中から炭酸ガスを吸収して、光を浴びて光合成を行って育つ。しかし、光があり、水があっても、受粉を媒体する昆虫や鳥はまだ創造されていないので、受粉は僅かである。

1day1priod_3.jpg そして、僅かに受粉した植物も、果実も種子も少なく、年を経るにしたがって少なくなり、やがて朽ち果ててしまう。数年で樹木だけになり、やがて、樹木も滅亡の道を辿っていき、有機物の補充がない土地は、時間と共に貧弱になった。海と大地を持ち、植物も何もない地球が、空中に浮かんで第4日目の太陽月星など天体の創造を待って千年近い歳月が経過することになる。

 第5日:水の動物と飛ぶ動物が創造されるが、植物はこの動物の創造より千年以上遙か昔にすべて絶滅してしまっているので、創造された動物には食物が全く無い。仮に互いに殺し合い、食糧にしたとしても全く補給がないので、数ヶ月ですべての動物は餓死してしまう。地球は死骸の山と化して、また千年間が経過する。               

 第6日:陸の動物と人間の創造。しかし、起こることは5日目と全く同じであり、全部餓死し、死骸の塊を抱えた地球が太陽の周りを回り続ける。

 いのちが創造された5日目が10億年、2億年、或いは1千万年前としても、本質的には大差はない。いのちの創造後、5日目、6日目と、延々と苦しみと死が積み重なったことになるのである。          

 

▶「一日一時代説」の概要は、ここまでで締めくくります。より専門的なことに関心のある方は、以下の項目を読み進めてください。

************************************************************************************

◆専門的な考察◆

 

[Ⅰ]聖書による詳細な検討

(1)一日は千年のようであり
 ペテロの手紙の意味することは裁きのことを語っているのだと上に述べたが、これを書くにあたってペテロは詩篇90篇4節 を引用している。

まことに、あなたの目には、千年も、きのうのように過ぎ去り、夜回りのひとときのようです。(詩篇90篇4節)

 さて、この詩篇を詠ったモーセは、時間が神のものであり、時間は重要なことではないという主の視点を強調しているだけである。
 ペテロはこの詩篇を引用しているが、文脈から明らかなように詩篇の作者の視点を乗り越えて終わりの日のことを語っているのである。再臨の日の遅延は、主の目にはいささかも遅延ではないこと、時間を超越した主であること、主の愛と大きな恵みが人々に及ぶためであることを語っているのである。

(2)聖書による検討・・・・ 三日間魚の腹の中にいたヨナ
 預言者ヨナは、ニネベに行きなさいと主に命令されたのであるが、主に背いてニネベとは反対方向に行く船に乗り込んだ。ところが、主が嵐を起こされたので船が転覆しそうになり、その原因が自分にあることをヨナは白状して、船員たちに自分を海に投げ込むように頼んだ。海に投げ込まれたヨナのために主は大きな魚を備えられた。魚の腹の1day1priod_4.jpg中から生還したヨナは、最終的に主の命令に従ってニネベに行き、言いつけられた預言をニネベの町の人々に語った。

【主】は大きな魚を備えて、ヨナをのみこませた。ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。(ヨナ書1章17節)

 一日が千年なら、ヨナは三千年間、魚の腹の中にいたのか!?

 

【Ⅱ】言葉「ヨーム」の理解

 聖書の原典の言葉を間違って解釈し、惑わされた。
ヘブル語で使われている "YOM"(ヨーム)≡ 英語"DAY"≡ 日本語"日"
であり、ヨームという言葉を余りにも特別な言葉と理解してしまった。
 注:記号「≡」は数学的に等しいという意味ではなく、等価・同等の意味を持つ、ということ。

英語"DAY"でも日本語"日"でも、カレンダーの24時間を指すこともあり、別の意味で用いられることもあるのに、創造の日のヨームだけを、好みによって誤った解釈の迷路に迷い込んでしまったようである。

旧約聖書中、これらの単語が使われている回数を数えると
ヘブル語"YOM"は2,301 回使われている。
英語訳"Day"or "day": NKJV 1,852 節(~回?),
           NKV 1,705 節(~回?), NIV 1,641 節(~回?)
日本語訳"日":新改訳1,460 節、新共同訳1,628 節、口語訳1,540 節

この中で"YOM",「日」が異なった意味で使われる場合。
*その昔、父の時代には、車で10かけて、中、オーストラリアの奥地を横断したものだ。
*創15:12  が沈みかかったころ、  *創25:18  ある
*創35:3   苦難の、          *創49:1  終わりの

何故、創世記の創造の記事でだけ、"YOM"の意味を疑うのか?
Brown-Driver-Briggs, ヘブル語と英語の聖書辞書で、ヨームを次のように定義している:
            "YOM"は、「夕と朝によって定義される日」

創世記1章以外での "YOM",「日」の使用例
 *数字との組み合わせで、何「日」 410回・・・・・常に文字通りの1日という意味
 *"夕"と"朝"の組み合わせで("日"という言葉を使わないで)38 回
                          ・・・・常に文字通りの1 日という意味
*"夕"または"朝"という言葉が、"日"という言葉とセットで23 回
                          ・・・・常に文字通りの1 日という意味
*"夜"と"日"という言葉がセットで52 回・・・・常に文字通りの1 日という意味

以上、創造の日・ヨームを文字通りの1日という意味と理解するのが正しい理解であるのは明らかである。


【Ⅲ】宇宙・地上の自然法則

天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。(詩篇18篇1~2節)

1day1priod_5.jpg 創造主は、物理法則・化学法則・生物法則など、宇宙の全ての法則を定められ、太陽、月、地球、それぞれが定められた「大きさ」・「性質」・「相互の距離」・「公転」・「自転」などが正常に維持されるように主が創造された。地球は1日、24時間で自転し、1年で公転し、そして地上の植物は、昼は光合成・呼吸を、夜は呼吸だけを行い、季節毎に芽を出し、根を張り、花を咲かせ、葉を散らせ、果実を実らす。すべて季節の変化に敏感に応答して、正常に営まれるように初めに整えられていたのである。

神は仰せられた。「光る物が天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のためにあれ。(創世記1章14節)

 昆虫は、青虫がさなぎになり美しい蝶々になり、両生類では、オタマジャクシはカエルに変態する。そして、植物の受粉は昆虫・鳥などの媒介に依存する。昼と夜・季節・1年の長さなど、自然界には各種各様の精巧な時計が取り付けられている。生物の体内には、体内時計が組み込まれており、微妙なバイオリズムが元気に脈打ち、生命反応に重要な役割を果たしている。体内時計が乱れると生命を正常に保つホメオスタシス機能が損なわれ、代謝異常が発生し生物の正常な営みが見出される。

1day1priod_6.jpg
 1日が千年どころか、百年であっても、実は、1日が48時間であったとしても、体内時計にとっては深刻な、ことによっては致命的打撃を与えてしまう。時間のリズムを崩すと、多くの生物は絶滅の危機にさえ瀕するのである。

 人間を例にとって考えると、身近なこと、自分のことであるので理解し易いだろう。生命を維持し、健康に生きていけるように備えられたホメオスタシス(正常に戻す復元機構)という大切な機能、主によって埋め込まれた体内時計、体内で行われる無数の生命反応は相互に支え合って機能する有機体として統率された一体として創造されたのである。脳細胞は、朝の光の刺激で目が覚め、暗くなると睡眠へ入るように造られている。体内時計が僅かに狂っただけで、睡眠障害、健康障害を起こす。睡眠障害等大したことではないと高をくくっていると、体内の代謝反応が著しく乱されて、一大事になりかねない。このように、1 日は24 時間でなければならないように創られているのである。

 

1day1priod_7.jpg

【Ⅳ】聖書と一日一時代説との整合性・矛盾 

 上に説明してきたことを一括して表にまとめる。一日一時代説は聖書とは適合せず、大きな矛盾があり、創造をこの説で説明しようとしても絶対に不可能であることは明らかである。

 

【Ⅴ】まとめ:"幾億年"の当てはまる場所

 どこまでも考えの中心に進化論、すなわち幾億年の世界がつきまとうので、どこかにこの幾億年を当てはめようとする一つの説が一日一時代説であった。創造の六日間、それぞれの日に幾億年を割り当てたという説であり、進化思想を覆い隠そうとしても隠しきれないことは明らかである。

1day1priod_8.jpg