1.水の惑星

神は北を虚空に張り、地を何もない上に掛けられる。水の面に円を描いて、光とやみとの境とされた(ヨブ記26章7節、10節)。

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美しい水の惑星・地球を、人類史上初めて宇宙から見たガガーリンは、「地球は青かった!」と感動して語った(1961年)。地球が球形であること、そして支えるものが何もない宇宙空間に浮かんでいることが、二十世紀後半に入って、目で確かめられたのである。
帰還後に語ったとされる「地球は青かった」が、ガガーリンを象徴する言葉として、日本においては知られているが、実は正確な引用ではないらしい。            

以下にWikipediaの記述を紹介しよう。
「ガガーリンの言葉として有名な「地球は青かった」は不正確な引用である。1961年4月13日付けのイズベスチヤに掲載されたルポ(着陸地点にいたオストロウーモフ記者によるもの)によれば、原文では、Небо очень и очень темное , а Земля голубоватая . となっており、日本語に翻訳すると、『空は非常に暗かった。一方、地球は青みがかっていた』(ГОЛУБОЙ(ガルボイ)は淡青色または薄青色である。英語では、「青みがかった」または「淡青色」)となる。朝日新聞4月13日夕刊、毎日新聞4月13

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日夕刊、読売新聞4月13日朝刊は、この記事を基にしている。「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」が、英語に翻訳される際、「地球は青かった」に変化して広まったという説もあるが、根拠が見当たらない。ガガーリンの著書「宇宙への道」にも、地球の描写として 「地球はみずみずしい色調にあふれて美しく、薄青色の円光にかこまれていた」のような記述が見られる。
                                
「神はいなかった!」

ガガーリンの地球周回中の言葉として報道され、有名になったものとして「ここに神は見当たらない」あるいは「私はまわりを見渡したが、神は見当たらなかった」という表現でよく引き合いに出されている。

ガガーリンの親友であった宇宙飛行士アレクセイ・レオーノフは著書「月の両面」(『アポロとソユーズ』」の中でガガーリン自身が好んで語ったアネクドート(滑稽な小咄:こっけいなこばなし)として次の話をあげている。おそらく、この中の言葉が彼自身の言葉として一人歩きしているのではないかと思われる。

宇宙から帰還したガガーリンの歓迎パーティにロシア正教のモスクワ総主教アレクシー1世が列席しており、ガガーリンに尋ねた。

総主教「宇宙を飛んでいたとき、神の姿を見ましたか。」
ガガーリン「見えませんでした。」
総主教「わが息子よ、神の姿が見えなかったことは自分の胸だけに収めておくように。」
しばらくしてフルシチョフがガガーリンに同じことを尋ねた。総主教との約束を思い出したガガーリンは先ほどとは違うことを答えた。
ガガーリン「見えました。」
フルシチョフ「同志よ、神の姿が見えたことは誰にも言わないように。」(レーニン主義は神を否定している)ユーリイ・ガガーリン(waikipedia)

さて、「小咄」という類いのものは、「アハハ!」と笑い飛ばすべきものかも知れないが、このバカバカしい小咄が敢えて語られ、しかもそれが真面目な口調で「神はいなかった!」と報道されるところにまで発展しているので、一言だけコメントを付け加える。「神」という言葉がどのような内容として理解されているかも懸念の材料であるので、万一にも誤解を招いているならば、それを払拭(ふっしょく)しておきたいのである。
聖書の全知全能の創造主が日本語では「神」という言葉で翻訳されているが、この「神」は日本で語られる諸々の神々とは全く異質の存在である。創造主である神は、ガガーリンが飛行した狭い宇宙空間だけではなく、全宇宙空間を探し回っても見えるような存在ではない。全宇宙を創造された神は全知全能であり、愛・正義・聖なる方であり、神格(ペルソナ、人格と翻訳されることが多いが、人格は創造主の姿を映された姿であり、そういう意味で人格はコピーなのである)を持っておられ、昔も今も未来永劫に生きておられる霊である御方である。ガガーリンに見えなくても存在しておられる普遍の御方であり、全宇宙、全ての存在を超越しておられる方である。

さて、本論に戻る。
地球が「何もない上に掛けられて」浮かんでおり、そして「水の面に円を描く」球形であることが、驚いたことには今から約三千年も前に聖書、ヨブ記にすでに書かれていたのである(驚くのは人間的視点であって、実は驚くには及ばない。聖書はこれらを創造された方の著書であるから、当然すべて真実が書かれているのである)。地球が球形であることについては、他の箇所にも記されている。

神が天を堅く立て、深淵の面に円を描かれたとき、わたしはそこにいた(箴言8章27節)。

主は地をおおう天蓋の上に住まわれる。地の住民はいなごのようだ。主は天を薄絹のように延べ、これを天幕のように広げて住まわれる(イザヤ書40章22節)。

mizuno_wakusei_3.jpg地球は豊かに水がある唯一の惑星であり、まさしく青く美しい水の惑星である。ガガーリンが正確にはどのように言ったかは、さして重要なことではない。この広い大宇宙には天体は無数にあるので、それらがどのような星であるのか人類は知らない。人類は月と地球に近い惑星に関しては多少の知識を蓄えたが、しかし遠方の惑星に関しては、今僅かに情報を得つつあるが、その歩みは遅々たるものであり、また不確かなものである。まして、広い神秘のヴェールの中にある無数の星に関しては、人類は何も知らない。したがって無制限な夢物語の可能性を言及しても、誰にも反論は出来ない。

mizuno_wakusei_4.jpg地球の外から地球を見ると、地表の70.8%を海が占めており、平均的な深さは3729m, これらは全てつながっている。地球上の大洋を俯瞰(ふかん)した世界の大洋地図に見る通り、下の大きな大洋が太平洋、右上の大洋がインド洋、左上の大洋が大西洋であり、まさしく水の惑星である。
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mizuno_wakusei_6.jpg昔の人々は美しい月を美しいと愛でて、多くの詩人は美しさを詠ったが、小林一茶は「名月をとってくれろと泣く子かな」と、どのような心を込めたのかは不詳であるが、俳人として月への心を詠んだ。そして、その美しさ故にであるだろうが、時には信仰の対象になり、今でも中秋の名月には月に供え物をして拝む風習は各地に残っている。それが何であっても拝むことに抵抗を感じない日本人は、月を拝むことにどんな躊躇もしない。満月に供え物をしてわざわざ拝まないとしても、夜空に輝く満月に「神々しさ」を感じて宗教心を煽られるのかも知れない。

mizuno_wakusei_7.jpg自然現象を拝む土着信仰は深い根を張っており、エネルギーの象徴であり源である太陽や、美しい月を拝む信仰は日本だけではなく世界中に今もある。悲願が叶って富士山が世界遺産に登録された途端に、太陽信仰に輪を掛けて山岳信仰の象徴である富士山頂で、山開きの初日に「ご来光」を「拝みたい」人々が列を成したようである。昨日の日の出と今日の日の出に差があるとしたら天候だけであるにもかかわらず。

そのような美しい満月が、何も支える物がなくて空中にポッカリと浮かんでいることに、いささかの疑問も感じなかったにもかかわらず、自分が踏みしめている大地が、空中にポッカリ浮かんでいると考えることは想像を絶することで、この事実を人類はなかなか認めなかった。しかし、人類は遂にこの地上から一歩足を踏み出して、壮大な宇宙に飛び立ったのである。このように大宇宙に飛躍したいという思いは主から与えられた賜物であり、美しい地球がポッカリと空中に浮かんでいる事実を見る恵みに預かることになった。

神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない(伝道者の書3章11節、口語訳)。

mizuno_wakusei_8.jpg月が太陽の光を反射して美しく黄色く輝く神秘的な存在ではなく、地球の美しい自然とは比べることさえ出来ない姿をしている事実を人類は知った。そして、月の姿を見、月に着陸して、月の岩を持ち帰るだけでは満足しないで、更に遠くの惑星の観測を続けている。どのような姿をしているのか、どこかに水がありはしないかと探し回っている。何故、水を探すのか? 進化論に立脚して生命の起源を地球に求めることに絶望した人類は、それならば無限に大きくて、だから何でもありの宇宙に生命の起源を探したいと思ったのであろう。だが、生命が発生するためには水は必須である。したがって、宇宙のどこかの天体に水があれば、そこが生命の生まれた所と考えるささやかな根拠を与えるかも知れないという儚い夢なのであろう。                        

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人間的には真面目で有能な一部の天文学者たちは、この宏大な大宇宙のどこかで地球上では起こらなかったことが起こったに違いない。どこかで生命が自然発生し、そしてそれが進化し、知的生命体が生きているに違いないと固
く信じて、宇宙探査機に宇宙人へのメッセージを積み込んだ。カール・セーガン
は、地球外の知的生命によって発見されれば解読されることを前提に、変形しない普遍的なメッセージを太陽系外に飛んで行く探査機に搭載することを考案した。

その最初の試みがパイオニア探査機の金属板であった。パイオニア探査機は太陽系を脱出する最初の人工物体となった。この金属板は探査機のアンテナの支柱上の、宇宙塵による侵食から守られる位置に取り付けられている。NASA ではこの金属板(と探査機自身)が地球や太陽よりも長く生き残ることを期待しているという。
                       
 150億~200億年前に、物質の塊(かたまり)が大爆発を起こして火の玉から始まったというビッグバン説、アメーバーから人類にまで進化したというあり得ない進化仮説などなど、進化論の項で詳細に説明するが、無秩序からこの高度の秩序が偶然に生まれ出るはずはないのである。自然の過程として経過する行き先は、更に手の施しようのない無秩序、滅びしかないのである。この美しい最高の秩序は、科学的に単純に考えてさえ偶然の産物として発生することは不可能事なのである。

青く、美しい水の惑星であるから、植物が繁茂し、動物が栄え、そして人類が豊かないのちを楽しむことが出来るのである。

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参考文献:「創造」vol 1. No.1(1997), vol. 3, No.3(1999)、「創世記の記録」ヘンリー・M・モリス著(宇佐神正海訳)、創造科学研究会(1992);「だれが宇宙を創ったか」ロバート・ジャストロウ著、講談社(1992)