1 海と大地

神は「天の下の水は一所に集まれ。かわいた所が現われよ。」と仰せられた。するとそのようになった。神は、かわいた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、それをよしとされた。(創世記1章9~10節)

[Ⅰ]海と陸地に分けられた: 一つの海と一つの陸地

地球は水の惑星として創造され、植物と動物と人を維持するために創られた大気が、水球であった地球を覆った。第三日目になって、「天の下の水は一所に集まれ。かわいた所が現われよ。」と主は新たな命令を出して、創造の次の工程へと歩を進められた。こうして、水はすべて一箇所に集まり海と名付けられ、そして乾いた所・大地が現れた。こうして分離された「天の下の水」は、様々な物質を浮遊、懸濁させ、あるいは溶かし込んだ水(溶液)として地球全体を包みこんでいたことだろう。(余談ながら、上の水は気体として上げられているので、化学的には純粋の水だけであり、その中に何かが溶け込んではいなかっただろう)

umi_daichi_1_re.jpg

この水を一つの系に統合された状態に集め、また陸地も秩序あるものとして造るために、創造主の御言葉がエネルギーを与えて「そのようになった」のである。様々な物理的変化、そして化学変化も起こって、地殻やマントルや中心核を造り、固形の地球が出来上がった。後に植物が育ち、動物や人間が生活する場となるための大地が整えられて地上に現れた。

「水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた(創世記2章6節、10節、新共同訳)。」

と書かれている。大きなエネルギーによって陸地が出来上がる過程において、地下水路も縦横に張り巡らされ、その地下から地表に湧きだす水で土の面が潤されたのだろう。

 このようにして、陸地と海が分離されると同時に、水の循環系が出来上がった(この循環系は現在の水の循環系とは大きく異なる)。繰り返すが、しっかりと脳裡に刻み込んでおかなければならないことは、創造された陸地も海も、現在の陸地や海とはまるきり異なったものであったということである。海は現在も一応繋がっているが、一方、現在の陸地は海によって分かたれていることを知らない人はいない。

umi_daichi_2_re.jpg 写真は現在のチグリス川水系であり、イラクをほぼ南北に縦断してペルシア湾に流れている。この馴染みの深い二つの川の名前が、創世記二章に出てくる。

 「第三の川の名はチグリスで、アシュルの東の方を流れており、第四の川はユーフラテスであった。(創2章14節)」         

  現在、存在する川の名前が、創造の時に存在した川の名前と同じであるために、エデンの園はここに存在したのだと錯覚している人がいるが、それは関係の無いことである。何故なら、創造された世界はノアの洪水によって完全に破壊されたのであり、アララテ山上に漂着した箱船から出て来た洪水後の人々が新しい生活を始め、かつてあった故郷の川の名前を懐かしがって借用したに過ぎない。     

[Ⅱ]現在の地球の大陸、島々、そして海

(1)陸地

umi_daichi_3.jpg

 今の人類が自明のこととして受け容れている地球は、イラストや写真のような地球である。水(海)によって隔たれている五大陸と言われている6つの大きな陸上部分、ユーラシア大陸・アフリカ大陸・北アメリカ大陸・南アメリカ大陸・オーストラリア大陸・南極大陸と、そして数多くの小さな島々が浮かんでいる姿である。しかし、主が創造なさった地球は、海は一つ、大地は一つであった。後のノアの洪水によって、大気圏の上も下も、また地球の陸地も海も川も、すべて変えられてしまったのである。

 umi_daichi_4_re.jpg

 

(2)海・川

umi_daichi_5_re.jpg 地球は連結した水面で覆われ、世界の大洋は複数の主要な領域で区分されている。現在海洋は、太平洋・大西洋・インド洋・北極海・南極海と図に示したように、五大洋に区切られている。創られた時の大気組成については、現在と余り変わらないだろうと前の項「大気の組成」に記した。海の成分及び土の成分が創られた時にどうであったか、その詳細は不明である。 

[Ⅲ]土の成分

 創られた時の土の構成元素の成分比率や、どのような化合物として土の中に存在したのか、もちろん誰にも分からない。しかし、現在の土壌については詳細な分析データーが得られているので、そのデーターからある程度推測することは可能である。 

 土地の成分の構成比率は、表層からの深度により、また地域により大幅に異なってはいるが、それでも存在する元素の種類は同じであり、実はいずれの土壌にも元素によって量は多いものもあり微量のものもあるが、しかし地球上に存在するほとんど全ての元素が土壌中に含まれている。

 その中、主要な元素はほとんど金属元素で、量の多い順に並べると、ケイ素、アルミニウム、鉄、カルシウム、カリウム、ナトリウム、マグネシウムの順で、これら七元素で無機物の構成成分全体の99%を占めることもあるが、いずれも酸素と結合した形で存在している。すなわち、多量の酸素が存在している。

 その他マンガン、リン、硫黄、チタンを含めて土壌の主成分元素と呼ばれている。さらに、言うまでもないことであるが、土壌には有機物や空気や水が含まれており、これらを構成している元素である酸素、炭素、窒素、水素は大量に含まれている。

umi_daichi_6.jpg

 先に記述したように、ノアの洪水により地球全体がひっくり返ったために、最初に創造された土壌成分の構成比率や地層の様子などは最初の姿を留めてはいない。しかし、構成元素成分は質量不滅の法則により変化しないから、減りもせず、増えもしていない。地上の地域による差、また地表と深層との差違は洪水によって再編成が起こっただろう。しかし、ほぼ全ての元素がそれぞれの土壌に含まれている状態は維持されている。

[Ⅳ]海水の成分

 主が地球を創り、陸と海とを分けられた時の海の成分が実際にどうであったか、その詳細は不明である。しかし、塩水に生きる魚類も第五日に創造なさったのであるから、当然、海水は今の海水とそんなに大幅に異なった塩濃度ではなかっただろうと考えられる。

 地球上の水の97%が海水であり、現在の海水は塩辛く多少苦いことは誰でも知っているが、それは約3.5%溶け込んでいる塩(えん)によるものであり微量金属から構成されている。その3.5%のうちの約78%が塩化ナトリウム(いわゆる食塩)であり、約10%が苦味を与える塩化マグネシウム、後12%は数多くの様々な塩類である。

[Ⅴ]「よし」とされた海と陸

 人を住まわせるためにお造りになった地球の姿は、陸地が一つ、海が一つであった。そして、「神は見て、それをよしとされた」のであった。全能の主が[よし]とされたということは絶対的に良いのである。次の段階へと工程を進めるための完璧な「よし」であったのである。

 海と陸に分けられた地球について、また土と海の構成成分について簡単に紹介した。大きな関心を寄せている方々のために、少し詳細な情報を下に記述する。

***************************

✽ 専門的な考察 ✽

 

[Ⅵ]創造された地球の水の循環と現在の水の循環

(1)創られた地球

 乾いた陸地の下、巨大な深淵には水の源があり、この水の源は海とつながっていたと考えられる。水の源は地球内部からの地熱により暖められて、自然の泉として地上に吹き出し流れ出て、川となって海に注ぎ込まれていた。川や海など地表にある水からは、僅かに蒸発が起こったり凝集が起こったりしていただろう。

 この日の間に、成熟した草木、花や実を付けた樹木が創造されるので、全体の水の循環系に植物を通じての小さな循環も組み込まれることになる。遙か上空には目に見えない水蒸気の天蓋(上の水・上の水の項で述べたように厚い天蓋であったと考えなくてもよい)もあっただろう。このように全体が一つの系として働くように、「水の惑星・地球」が造られたのである。

「まことに、主が仰せられると、そのようになり、主が命じられると、それは堅く立つ。」(詩篇33篇9節)

 と書かれてある通りに、美しく準備が整えられた。それで、主は創造なさった作品をご覧になり、「よし」と確認されたのである。

 後に詳細に説明するが、三日目に植物も創造され、四日目に太陽や月・星が創造された後の、地球の水の循環はどのようであっただろう? ノアの洪水が来るまで地球には雨が降らなかったと、大勢のクリスチャンが教えられ、それを信じている。そして、洪水までは、水の循環は「水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤し」(創2:5,6)、地面から蒸発する僅かな湿り気や、夜間に降りる露で土地を潤していたのだと、教えられている。しかし、この5節、6節を何故そのような読み方をし、それが延々と時代を超えて信じ続けられたのであろうか? 筆者は、狐につままれた思いをしている。

 地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。(創世記2章5,6節、新共同訳)

 この記述は、「地上に野の木も、野の草も生えていなかった」時のことを書いているのであり、三日目の後半には植物が創造されているので、それ以前ということである。すなわち、「主が地上を陸と海とに分けられたが、まだ木も草も生えていなかった(が、やがてすぐに、その日のうちに植物が造られた)」と理解するのが一番素直な読み方だろう。そして、その理由は、まだ雨が降らなかったからであり、植物が造られる以前には、雨も降らなかったのである。また土を耕す人もいなかったのは、六日目にアダムが創造される以前ということは明白である。

 したがって、6節の最後の記述「水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤し」ていたのは、実は、主が地上を陸と海に分けられて、その後、植物を創造されるまでの短い時間に関する記述である。また、アダムとエバの創造以前の話である。ノアの洪水まで雨が降らなかったという聖書的根拠にはならない。 

(2) 現在の地球における水の循環

 現在の地球における継続的な水の循環について、簡単なモデル図が紹介されているように、固相(氷)・液相(海や川など)・気相(水蒸気)間で相互に状態を変化させながら、蒸発・降水・地表流・土壌への浸透などを経て、地球の表面、地下、そして地球を囲む大気圏内を水は絶えず循環している。

 この図にある氷や雪は創造された世界にもあったのだろうか? そして水を貯留し、また融けて水の循環に寄与しただろうか? もちろん不明であるが、植物や動物を養い、そして幸せな生活を人々に与えるために準備された温暖な気候の地球環境には、恐らく氷や雪はなかっただろうと筆者は考えている。雪という言葉が聖書に初めて出てくるのは出エジプト4:6で、皮膚病に「冒され、雪のようになっていた」と比喩として使われているので、すでに雪が時には降っていて、人々が雪を知っていたことが分かる。恐らくノアの洪水後に雪は降るようになったのだろうと思われる。雪が降ったことの記述は、Ⅱサムエル23:20に「雪の日に」と書かれている。氷という言葉は、ヨブ記 6:16 に、「流れは氷に暗く覆われることもあり、雪が解けて流れることもある。」と書かれている。

umi_daichi_7_re.jpg

[Ⅶ]海水の成分

 進化論的発想法をする人々は、地球が出来て海が形成された時には、海水は塩をほとんど含まない酸性の水であったので、その酸によって地殻を溶かし、アルカリ金属・アルカリ土類金属によって海水が中和され塩となり、順次、塩分濃度が高まってきて今の海水になったと考える。そして、それ以後も地殻を溶かし続けているので、塩分濃度は今も同じ速度で徐々に上昇を続けているという。

umi_daichi_8_re.jpg 塩分濃度の現在の増加速度は、地球の始まりから今まで全く変化しないで一定の速度で溶け込んできたという仮定(斉一説)に立って、塩分濃度がゼロから始まり今の濃度になるまでの年数を算出することによって地球の年齢を推測する試みがなされた。 しかし、仮に海が全く塩分を含まない状態で始まったとしても、地球の推定年齢は6200万歳以下と算出される。 しかし、進化を仮定するには地球の年齢は45億歳以上でなくてはならないと彼らは考えているので、この方法は不適合であると結論されているようである。

 上に記述したように、主が創造なさった時の下の水、すなわち海の成分がどうであったかは分からない。しかし、塩水に住む魚が創造されたことを考えると、海が淡水であったはずはなく、現在の海水の組成とほぼ似通ったものであっただろうと考えられる。

  現在の海水に含まれる塩(えん)の種類とその濃度の詳細を表にして示した。塩は水中では解離して、例えば、塩化ナトリウム(食塩)は水に溶け込んで、次式に示すように、ナトリウムイオン(Na+)と塩化物イオン(Cl-)に解離して存在している。

NaCl    ⇄    Na+ +  Cl-

同様に、塩化カリウムは、カリウムイオン(K+)と、陰イオンは同じ塩化物イオン(Cl-)に解離している。また、塩化マグネシウム(MgCl2)も同様に解離しているが、マグネシウムは二価なので、次のように解離している。

MgCl2  ⇄    Mg2+ +  2Cl-

  表から分かるように、海水中に存在する塩はほとんどが塩化ナトリウムでナトリウムイオンと塩化物イオンとして存在している。塩化物イオンは比較的大量に存在する塩化マグネシウムと量は少ないが塩化カリウムにも由来している。次いで多いのは、硫酸マグネシウム・硫酸カルシウム・硫酸カリウムに由来する硫酸イオン(SO42-)と、対応する陽イオンである。それ以外にも微量であるが多数の電解質が海水中に溶け込んでいる。

umi_daichi_9.jpg

 海水中塩濃度は実は世界中で同一ではなく、地域毎に異なっている。各海域の年間の塩濃度を色調で表した図から分かるように、塩濃度の低い海域では3.1%、比較的高い海域は3.8%位で、平均は緑色で示されている約3.5%である。

umi_daichi_10_re.jpg

[Ⅷ]ロトの妻を覚えておきなさい

 海ではないが塩分が飽和状態で析出していることで有名な大きな湖が、世界に二箇所存在する。一つは、図にも示されているイスラエルの死海、ヘブル語名は「塩の海」である。聖書には、アラバの海、塩の海(申命記3:17,ヨシュア記3:16など)として記されている。今一つは、米国ユタ州のソルトレイクである。

上から流れ下る水はつっ立って、はるかかなたのツァレタンのそばにある町アダムのところで、せきをなして立ち、アラバの海、すなわち塩の海のほうに流れ下る水は完全にせきとめられた。民はエリコに面するところを渡った。(ヨシュア記3章16節)

  塩濃度が高いので浮かび易く、容易に沈まず、新聞を読むことさえ出来るほどである。また、写真に見られるように飽和に達した塩は波打ち際やその他で析出する。

umi_daichi_11.jpg

umi_daichi_12_re.jpg この塩の海を巡って、有名な出来事が聖書に記録されている。人が堕落し、腐り果ててしまい、悔い改めることをしないソドムを主は硫黄で焼き尽くして裁きを下そうとされた。その時、正しい人ロト(アブラハムの甥)にソドムからツォアルへと脱出する道を主が与えられた。その時に、決して後ろを振り返ってはならないと厳命されていたにも拘わらず、ロトの妻は後ろを振り返った。そのために「塩の柱」になってしまった出来事が起こったのがこの地である。

 これらの町々と低地全体と、その町々の住民と、その地の植物をみな滅ぼされた。ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。(創世記19章25節、26節)

 主イエスはご自身が戻ってお出でになる日のことを、ノアの洪水の日のことやロトの時代の日に例えて話された。そして、主の命令に背いて後ろを振り返ってはならないと、次のように忠告を与えられた。

その日には、屋上にいる者は家に家財があっても、取り出しに降りてはいけません。同じように、畑にいる者も家に帰ってはいけません。ロトの妻を思い出しなさい。自分のいのちを救おうと努める者はそれを失い、それを失う者はいのちを保ちます。(ルカ17章31~33節)

[Ⅸ]水

ふんだんにあるもの、値打ちのないものを言うときに「湯水のように」という表現が日本語にも英語にもあるが、「水はタダ」というこのような感覚は、昨今、薄らいできており、この言葉が死語になる日も遠くないかも知れない。

 さて、生命体にとって水が必須で、大切な意味を持っていることを改めて強調したい。第二日目に創造された空気(酸素だけを指しているのではないことを、B2-3「大気の組成」で詳細に学んだ)や水は、必要充分で、完全な状態に初めから豊かに備えられているので、私たちはその大切さを認識しない。しかし、空気がこのように備えられていなければ、また水が無ければ、いのちは一瞬たりとも維持することが出来ないことを、腹の底から確認出来たときには、そのことだけでも創造主の偉大さ、叡智を思わずにおれないだろう。そして、創造主への畏敬の念、崇拝、敬愛、信頼、感謝が、心の底から沸々と湧き上がってくるだろう。

  生命にとって水はどのようなものであるかという説明は、別の項で詳細に説明する予定である。この項では、水なくして生命はないという結論だけを述べるに留める。水は生命を可能にしただけではなく、宇宙の太陽系のこの位置に地球が安定して存在することを可能にしたのであり、またこの位置にあるのでなければ、この豊かな水と自然は存在不可能なのである。このことに関して、B2-1「水の惑星」に記載した。全てが完全な調和の中に整えられた宇宙であり、地球なのである。

  地球以外の天体に水を探し求めるのは、水が無ければ生命はあり得ないからであり、何とか水が存在していた痕跡を月に、火星にと探し求めているのである。何故? 地球上での生命の自然発生が科学的に否定されたために、最初の生命体は宇宙から舞い込んできたという「夢物語」を進化論者たちは考え出した。宇宙という未知の世界では、「何でもあり」のような幻想を抱かせられるのかも知れない。その幻想と、しかしながら水がないと生命はないという科学の理性とを共存させて、外の天体に水を探して生命のルーツを求めようとしているようである。しかし、この水の惑星・地球でさえ、生命の自然発生はあり得ないことが明確になっているのに、宇宙に飛び出したら生命は自然発生したかも知れないと幻想を抱くのは不可解な思考過程である。

[Ⅹ]土の成分

  農業を営む人々はもとよりのこと、趣味としての農作業や園芸を楽しむ人々は、植物を育てるために土がどのように重要であるか知っている。植物が育つためには、多くも少なくもなく水を適切に保持する性質が土には必要であり、この水は栄養を豊かに溶け込ませる重要な役割を果たしているのである。土の性質によって、育つ植物も異なるのである。

 主が創造なさったエデンの園には最高の土が備えられ、様々な植物が豊かに繁殖していたのである。主に反逆したことにより、土は呪われ、いばらが植物の生長を阻止するような地球になってしまったが、初めに創られた元素は今も土の中に存在しており、基本的にはなくなっていない。また、原則的には質量保存の法則は土の中に存在した元素に関しても守られている。土は最初に与えられたのであり、それを用いて土からの実りを得るために人類は汗を流さなければならなくなったのである。

土を構成する元素について、先に簡単に記したが、それぞれの元素を少しだけ説明しておくことにする。

(1)ケイ素、Si 

 「珪素」「硅素」「シリコン」とも表記・呼称される。大量に存在し、半導体、電子工学上重要な元素であるが、生命との関わりはあまりない。

(2)アルミニウム、Al

 「アルミ箔」「アルミサッシ」、一円硬貨など非常に生活に身近な金属である。天然には化合物のかたちで広く分布し、ケイ素や酸素とともに地殻を形成する主な元素の一つである。

(3)鉄、Fe

 純粋な鉄は白い金属光沢を放つが、イオン化傾向が高いため、湿った空気中では容易に錆を生じ、見かけ上黒ずんだり褐色になったりする。身近に知っている鉄は、このような鉄である。

  いのち(赤い血を持った生命体)の存在に鉄は必須の成分であり、鉄がないと人間は存在し得ない。よく知られているように鉄が不足すると血液中の赤血球数やヘモグロビン量が低下し、貧血など重篤な症状を引き起こす。このことに関しては、別の項で詳細に記述する。

 (4)カルシウム、Ca

umi_daichi_13_re.jpg アルカリ土類金属の一種で、人を含む動物や植物の代表的な必須ミネラルであることはよく知られている。リン酸カルシウムとして骨を形成している。近年、特に中高年以上の女性の骨が弱くなって骨粗しょう症が大問題となり、カルシウムをサプリメントとして過剰に摂取して、新たな病気、カルシウム過剰症を誘発したりしている。上述の鉄も同様であるが、不足しても多すぎても、健康に害が及ぶのである。出血を止める(止血作用)には、カルシウムは必須であり、カルシウムが不足すると出血が止まらない。また、多くの酵素反応に於いても、カルシウムが補助因子として働く。

(5)ナトリウム、Na カリウム、K

umi_daichi_14_re.jpg ナトリウムもカリウムも、単体はアルカリ金属であり、銀白色の光沢を帯びている。反応性に富んでおり、酸、塩基に侵され、水と接触すると激しく反応する。ナトリウムの方が反応性に富む。従って、自然界に単体で存在することはなく、化合物として存在している。また、単体は水を含まない油の中に保存する。ガラス管に封印されている緑黄色の元素は、有毒な塩素ガスの写真である。この危険な気体が、危険な別の元素、ナトリウムやカリウムと反応すると塩化ナトリウム(いわゆる食塩)や塩化カリウムという全く無害な塩になる。

(6)マグネシウム、Mg

umi_daichi_15_re.jpg

 空気中で高熱を発してよく燃える金属元素であるが、緑色植物に必須成分であり、光合成を行う葉緑素の構成成分である。人では、リン酸塩として骨組織に、また血漿、赤血球、筋肉中に存在する必須成分である。

(7)リン、P

 窒素族元素の一つであり、写真の左から白リン(黄リン)、赤リン、紫リン、黒リンなどの同素体が存在する。白リンは、発火点が60℃で、小さな衝撃ででも自然発火するので、水中で保存する。

 リンは人体の必須の微量成分であり、核酸(DNA & RNA)中に遺伝物質として存在していること、また体内エネルギー通貨であるATPの構成成分であることはよく知られている。

 umi_daichi_16_re.jpg

(8)酸素 Oは、各元素と結合して酸化物として存在している。また、炭素 C、窒素N、水素H、硫黄 S、マンガンMn、チタン Ti など、存在するほとんど全ての元素が土壌中に存在している。

[Ⅹ]結語

 人を地上に置くための創造の過程に於いて、主は地球を陸地と海とに分けられた。こうして、その創造の次の工程に進むための準備が完璧に進められ、地球の秩序を整えられたのである。

 主は最初に、この地上に存在するあらゆる元素を創造された。それは、92種類の元素であった。しかしながら、現在、地球上に存在していると考えられている元素は、112種(113~118種?)が数えられている。これらは、主がお造りになったものではない。主に反逆する行動の一つとして人類が作り出したものであり、危険な元素なのである。

また、水素や炭素等々に関しても、放射性同位元素が作り出されているのは周知の事実である。

 これらについては、放射性同位元素、原子力発電について考える時に改めて詳細に記述する。

*******************

参考文献:「創造」vol 1. No.1(1997), vol. 3, No.3(1999)、「創世記の記録」ヘンリー・M・モリス著(宇佐神正海訳)、創造科学研究会(1992)