6.日本人の心の奥底にある「神」とは?

そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』(マタイの福音書二十二章三十七節)

 日本人の信仰深いある側面を以下のように記述して、先月号を締めくくった。

「この律儀な日本人は、もし大きな恵みにより創造主を信じる信仰を頂きさえすれば、イエス・キリストと共に歩むビクともしない信仰を持つことが出来る民族だということがよく分かるだろう。「ただ、おことばを下さい」。そうすれば従います。というのが日本人なのである。」

イエス・キリストが驚かれたローマ軍の隊長の信仰

  「言葉を掛けて下されば、癒される」と、キリストご自身が驚かれたほどの信仰を示したのは、ローマ軍の百人隊長である。自分の家のしもべが中風でひどく苦しんでいるので、癒して欲しいと願い出たところ、イエスが「行って、直してあげよう。」と言われた。異邦人である百人隊長がキリストを尊敬し、謙遜な態度で接し、全幅の信頼を寄せて答えたので、イエス・キリストは驚かれたのである。

 しかし、百人隊長は答えて言った。「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば、私のしもべは直ります。と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ』と言えば、そのとおりにいたします。」イエスは、これを聞いて驚かれ、ついて来た人たちにこう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。(マタイの福音書八章五~十節)

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 ついでに、キリストが驚かれたことが福音書にはもう一度書かれているが、それはご自身の郷里の人々の不信仰に驚かれた記事である。彼らの不信仰故に、「何一つ力あるわざを行うことができず(マルコ六・5)」と書かれており、信仰により主の御業がなり、不信仰は主の働きの邪魔をするという側面があることが分かる。

日本人は何故、聖書の神・主を信じないのか?

  日本にキリスト教がもたらされて四百七十年、福音宣教は山あり谷ありの起伏の険しい道で、そして足を傷つけるゴロゴロ道であった。がっかりするようなジグザグ曲線であったが、どんなに厳しい道のりであっても、そのカーブが全体として上に向いていたのなら、伝道者の励ましになったであろう。しかし、激しい迫害の中で多数の殉教者が出るほどに硬い信仰を頂く恵みに浴した人々がいたにも拘わらず、日本国民全体の中に福音のしっかりした土台は、今以て築けてはいない。

 明治維新後もキリスト教は日本では忌み嫌われ、拒み続けられた。信教の自由が法律的に認められたのは第二次大戦後のことである。以来、六十九年、大勢の宣教師が日本を訪れ、福音宣教のために献身的に主に仕え、人々に仕え続けて来た。大勢の人々が指摘し、筆者もこの連載で書いたが、こんなに宣教が自由であるのに「宣教師の墓場」という不名誉なレッテルを貼られるほどに、福音が一向に日本の社会に浸透しない不思議な国である(ハーザー五月号)。大勢の牧者・宣教者たちは「何故?何故?」と問い続け、「どうすればいいのですか?」と、主に憐れみと教えを求め続けている。

 筆者もまた、同様に問い続けている宣教者の一人である。先輩諸氏がどのように思索し、どのように辛い戦いを強いられ、どのように悔しい思いをし、どのような小さな成功を収めてきているか...一人の宣教者としては決して小さくはなくても、日本全体を見渡す視野に立つと余りにも小さい、人口の一%にも満たないクリスチャン人口は残念ながら少数派である。筆者は力不足の上に不勉強で、その歴史のホンの一端を垣間見たに過ぎないが、それでも多少のことを学ばせて頂きながら祈り、考え続けている。筆者が召し出された働きにおいて、また福音宣教の根本的なこの問題に関しても、長い間キリスト信仰とは対極の場にあって養われた科学者としての視点を以て、そして、女性の視点がほとんど入っていないキリスト教界の働きを、女性としての新しい視点で聖書を読み直し、宣教の働きを見直して見ようとしているのである。

hazah_6_2.jpg どれ位主からお答えが得られるか、もとより全く分からないが、「長血の女」(マタイ九・20~23)のような厚かましくて、ひたむきな思いを以てただ主に縋りつく信仰、そして夜中に知人にパンを貸してくれと頼んだ常識外れの人の強引さ(ルカ十一・5~13)で主に食い下がるつもりである。

 わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。(ルカ十一章九~十節)

天皇のために喜んで命を捧げた日本人

 日本人はこの百人隊長が従えていた兵士たちと同様、びっくりするほど従順な国民である。そして、信仰心に篤い国民であり、信じた場合は喜んで命を捧げる国民である。特に第二次世界大戦においては、大勢の若者が「天皇陛下バンザイ!」と叫んで死んだ。そのような忠誠心の強い兵隊になることを名誉とし、町村ぐるみで、親や妻までも「神である天皇陛下」のために死になさいと励まし、愛する息子や夫の命を「天皇」に差し出し「バンザイ!」と日の丸の旗を振って死出の旅路に送り出したのである。

 ここで少し道草をしてみようと思う。有名な情熱の詩人、与謝野晶子(一八七八年~一九四二年)は、日露戦争(一九〇四年二月~)に従軍していた弟の無事を願って、有名な「君死にたまふことなかれ」という詩を「明星」に発表した。

hazah_6_3.jpg与謝野晶子の名前を知らない方はおられないとは思うが、少し紹介しよう。歌人・与謝野鉄幹と不倫の関係になり(鉄幹には妻子がいた)、その後結婚し、子ども十二人を生み、その子どもたちを置き去りにして、鉄幹を追ってフランスに行く。恋に生き芸術に生き、普通の道徳とは無関係に生きた歌人であった。当然非難中傷に曝されたが、それには全くめげないで別の世界に二人は生きたようである。

 与謝野晶子は戦争に行った弟を思い、一見反戦的な詩を書いた。下にその一部を示すが、次のような意味である。「弟よ、死なないで下さい。親は刃物を握らせて、人を殺せと教えましたか?」と問いかけ、三連では「天皇陛下は戦争に、ご自分は出撃なさらずに、互いに人の血を流し「獣の道」に(人を殺すという人道にもとることをして)死ねなどとは、それが人の名誉などとは、お心の深いお方だから、そもそもそんなことをお思いになるでしょうか。四連では、・・我が子を(戦争に)召集され、家を守り、安泰と聞いていた天皇陛下の治める時代なのに、お母様の白髪は増えています。」と詠んでいる。

 あゝをとうとよ、君を泣く
  君死にたまふことなかれ
親は刃をにぎらせて
  人を殺せとをしへしや

 (三連)
すめらみことは、戦ひに
おほみずからは出でまさね、  
  かたみに人の血を流し、
獣の道に死ねよとは、
  死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ
  もとよりいかで思されむ

(四連)
わが子を召され、家を守り
安しときける大御代も、
  母のしら髪はまさりぬる。

 
「皇室中心主義の眼を以て見れば、晶子は乱臣・賊子であるから、国家の刑罰を加えるべき罪人」と激しい非難を浴びせられたが、与謝野鉄幹等の直談判によって論争は終息するに至った。しかし、この騒動のために晶子は反戦的な歌人として印象づけられているが、この詩は、単純に弟の命を惜しんだだけだったのかも知れない(ちなみに弟は死ななかった)。

第一次世界大戦の折は「いまは戦ふ時である」と戦争賛美の歌を作り、後には戦争を擁護する歌を詠み、反戦的と言うよりはむしろ戦争擁護派であった。満州国成立を容認・擁護し、一九四二年、戦争を美化し鼓舞する歌を発表し、海軍大尉として出征する四男に対して「勇んで戦え」という「君死にたまふことなかれ」とは正反対の歌を詠んだ。

 満州事変以後に「君死にたまふことなかれ」を発表していたら、直ちに投獄の憂き目に遭っただろうと思われるが、しかし、あの詩をじっくり味わってみると、根底は反戦ではないと筆者は思う。彼女は、天皇を神として敬い奉る立ち位置から揺らいではおらず、自身を臣下としてへりくだる心が滲み出ているように思う。奔放で一般的な道徳律が当てはまらない生き方をした情熱詩人で、うわべに見えるものは異なっても、足を踏みしめている土台は不変なようである。

控えめで従順な日本人の伝統

 二千年近い日本の歴史は、良くも悪くも外からの影響を余り受けないで純粋培養され、その環境下で控えめで従順な日本人の特性が首尾一貫して育まれてきたようである。一般化することにはある危険を伴うが、真の神を受け容れない日本人が九十九%以上に及ぶことは事実であり、「何故」に対する答えは、このような長い歴史の中に秘められていると思う。

歴史学・社会学・宗教学などは筆者の専門外ではあるが、この「何故」の根幹について考察したいと思っている。それぞれの分野の専門家がすでに多くの著作を発表しておられると思うが、そのような学問としてではなく、信仰の問題、日本の宣教の問題として、遠くない将来に書く機会が与えられるだろうと思っている。

 このような歴史の一幕、明治末期の日本に外から進化論が舞い込んできて、世界中で居心地が最高である日本という土壌に居座ってしまった。特に、第二次大戦で日本人の心はボロボロになり、「安しときける大御代」と信じて支えとし、「現人神」として拝んでいた天皇は、神ではないと人間宣言をしてしまった。その日本人の空白の心は進化論が住みつくのにどんなに快適な住み処であったことだろう。次回から進化論について考えてみたいと思う。

 


このシリーズは、マルコーシュ・パブリケーションの発行するキリスト教月刊誌「ハーザー」で2014年2月から連載した内容を転載したものです。