1.キリストの福音と対決する本質:進化論(1)

初めに、創造主が天と地とを創造された。 創世記1章1節

何故様々な物が、世界があるのか?人は何故生きているのか?

 この地上にいのちを与えられた人類、人類の生活を大なり小なり支えている動物たち、エネルギーの源であり、また豊かさを与える植物、これらの住み処としての地球、そしてその外に広がる、果てしない大宇宙。人は誰でも・・・思想・信条・哲学の如何に関わらず・・・これらの「存在を知っている」。

今実際に、赤い血の流れる生身の自分が生きているという現実、食べ物がないとお腹がすくという現実、つねると痛いという現実、美しいとか醜いとか感じる現実、自分の周囲に同じ肉体を持ち、似たような感情を持った人間がいるという現実、その人々が社会を構成していて、愛し合ったりいがみ合ったりしているという現実、見渡せば木が緑の葉を豊かに付け、花を咲かせ、実を付ける自然環境があるという現実、空を見上げれば太陽が照り、青い空に雲が浮かんでおり、夜は月が輝き、星がチカチカと光っている現実、雨が降ったり嵐が来たりする現実。

 これらすべてが、何故存在し、どのようにして存在するようになったのか。この大きな謎を人間であるからこそ考えないではおられない。「自分で生きている」と考えるにしても「生かされている」と考えるにしても、これらすべてに関する謎の総決算として自分自身の問題に戻ってくる。「自分はどこから来たのか」、「何故今ここにいるのか、いのちの意義・目的は何か」、「死とは何か、死んだらどうなるのか」という、人間にとって最も重要で難しい命題を人々は延々と考え続けてきた。

完璧な解答を発見する

hazah_1_1.jpg 「初めに、創造主が天と地とを創造された。」
人であるからこそ考え悩む大命題に対する答えは、この一節に集約されていることを即座に悟ることが出来た幸せな人、恵まれた人の中によく挙げられるのは新島襄である。逆にこの一節に躓いた人々は、なかなか真理に辿り着けない。聖書の冒頭に掲げられた創造主の大宣言は、それくらいずっしりと重く、重要な真理を伝えているのである。六日間の創造の詳細について説明する機会は後の項で与えられると思うので、ここでは六日間の創造の概要をイラストとして示しておくだけに留める。              

 天地万物の創造を信じる恵みと祝福に預かった者として、冒頭のこの大宣言は読む度に心がワクワクと躍り、創造主の偉大さと計り知れない深い愛に包み込まれる。発信されている大きなメッセージ、たった一度きりの壮大なドラマが、「グサッ!」「ドサッ!」と重量感を以て強く心に響く。この御言葉を掴み取って、寄りかかり頼れるのだということが全身全霊に刻み込まれ、悟りに導かれるのである。この真理に辿り着く道程は、どのような大きな恵みによるのか、何故、ある人々はこの恵みに浴して幸せを得るのか、何故ある人々は、なかなか辿り着けないのか? 

 このように世相が荒れ狂っていても、それでも人の命の尊さを、人としての尊厳を確かめ合おうとしてもがいている人類、動物を正しく管理しようと工夫している人類、緑豊かで、空気の爽やかな地球環境を取り戻すことが必要であると人間の良識は叫んでいる。そして、人であるから遙か彼方の宇宙に目を向ける。このように人間としての尊厳の発露である良心と理性、豊かな感受性はすべて創造してくださった方に頂いたものであるということさえ気が付かないままに。

キリストの平和を悟り、実践した人

hazah_1_2.jpg 二〇一三年十二月五日、南アフリカ連邦の元大統領(在任五年一ヶ月)ネルソン・マンデラ氏(九十五歳)の訃報が世界中を駆け巡った。十日、ヨハネスブルク郊外で追悼式が行われ、百近い国と地域の首脳らが集まり、市民五万人以上が詰めかけたという。日本からは皇太子が参列、アメリカからはオバマ米大統領はじめ、ブッシュ前大統領、クリントン、カーター元大統領が参列した。オバマ氏は二〇分余弔辞を述べて、マンデラ氏から多くのことを学んだと、またこのような大人物は再び現れないだろうと彼の業績を称えた。

 マンデラ氏の名と業績を知らない人はいないだろうが、人種差別がまた復活しそうな兆しがあると報じられている今、人間の最後の行事としての「死」に際して、改めて彼らしい業績が積み重なったという気がするので敢えて、その横顔のごく一部を紹介したいと思う。 

 南ア連邦は激しい人種差別を延々と続けて人間の尊厳を踏みにじり、反アパルトヘイト運動に対する迫害も峻烈を極めたことはよく知られている。マンデラは若くして反アパルトヘイト運動に身を投じ、一九六四年(四十六歳)に国家反逆罪で終身刑の判決を受け、以後二十七年間に及ぶ獄中生活を強いられた。一九九〇年に釈放され、翌年アフリカ民族会議(ANC)の議長に就任しアパルトヘイト撤廃に尽力した。一九九四年、南アフリカ初の全人種参加選挙を経て大統領に就任し、民族和解・協調政策を進めた。一九九三年にノーベル平和賞を受賞したこの人の名前が、米国のテロリスト監視リストに延々と載せられ続けていたとはびっくり仰天で、このリストから削除されたのは驚くなかれ、二〇〇八年六月末、ついこの間、五年五ヶ月前である。

hazah_1_3.jpg 彼はメソジスト教会で洗礼を受けたクリスチャンであり、彼を支え続け、護り続けた力はキリストの希望・赦し・愛であったと思われる。牢獄の中で、当初は迫害する者に対する敵対心を燃やして闘おうとしていたのが、憎しみは解決のエネルギーにならないと悟り、迫害する側の心を解き放つために、キリストの赦し・和解の大切さを学んだという。

オバマ米国大統領はマンデラ氏の死去の報に接して四分半の演説を行い、「マンデラ氏が牢獄から解放された時に、恐れではなく希望によって導かれる時に人には大きなことが出来ることを私は悟った。神の祝福がありますように。マンデラ氏を覚え、平安がありますように。すべての米国国旗を、日没まで半旗を掲げ、弔意を示すように。」と結んでいるのは、さすが大統領就任に当たり聖書に手を置いて宣誓する国だなと思った。

イギリスのキャメロン首相は、マンデラ氏の死去の報にツイッターに「マンデラ氏は時代の英雄である」といち早く反応した。また、外務省は三日間国旗を半旗として掲げて弔意を示すと報道した。http://en.wikipedia.org/wiki/Death_and_state_funeral_of_Nelson_Mandela

創造主の御姿を頂いた人間

hazah_1_4.jpg 全知全能の創造主はすべてをお造りになって、準備万端が調った後で、ご自身の御姿に似せて人をお造りになった。

「創造主は、このように人をご自分に似せて、理性と道徳をわきまえる不滅の霊を持つ者として創造された。」(創世記一章二十七節)(創造主訳)

 写真に示した様々な民族すべてが創造主の姿である。肌の色も淡い色の人もいれば、黄色い人も、焦げ茶色の人もいれば、非常に濃い色の肌がキラキラ輝いている人もいる。鼻の高い人も低い人も、背の高い人も低い人も、眼の大きい人も小さい人も、毛深い人もそうでない人も、髪の毛の黒い人、茶色い人、赤毛の人、金髪の人も、そのすべてが創造主の尊い御姿を頂いた人であり、愛され、大切にされている人なのである。

「このようにして、創造主は、お造りになったすべてのものをご覧になった。
それはすばらしいものであった。」(創世記一章三十一節)

 人類は頂いた尊い御姿を忘れ果て本来の姿を泥の中で踏みつぶし、完膚無きまでに汚して値打ちの無い者とし、自分がまるでウジ虫のように偶然に「湧いて出た」存在であると思い込まされてしまった。このような進化論、弱肉強食のおぞましい思想は人間の霊魂を粉々に打ち砕いてしまった。しかし、事実は、偶然に人となって湧いて出たのではなく、すばらしい愛される者として心を込めて創造されたのである。祝福し聖であると全能の主が宣言なさった私たちであることを肝に銘じたいと思う。私たちは、その存在に自信を持ち、誇りに思って良いのである。

「それで、創造主は第七日に、創造の御業の完成を宣言された。そして、創造の御業を終えて、休まれた。創造主は、こうして天地創造になぞらえて、七日目を祝福され、聖別された。」(創世記二章二節、三節)(創造主訳)

「創造と福音」シリーズの次回からの展望  

 喜んで輝いて生きるようにと創られた尊いいのちの尊厳を踏みにじる強大な力の根・進化論が世界を特に日本を牛耳ろうとしている。しかし、イエス・キリストは世の始まりからおられたのであり、無限の愛、永遠のいのちは創世記から湧き出ている聖なる泉である。次号から、進化論が人類をどのように痛めつけているかを、少し詳細に検討する。また、創造主が大きな愛の御翼に包んでお創りになった世界・地球のこと、動物たちのこと、そして創造主の御姿を映された私たち人のこと、この世の命が終わった後の大きな希望・福音について、易しく、優しく紐解いて、共に喜びを分かち合いたいと思う。


このシリーズは、マルコーシュ・パブリケーションの発行するキリスト教月刊誌「ハーザー」で2014年2月から連載した内容を転載したものです。