2.キリストの福音と対決する本質:進化論(2)

主よ。あなたは多くのものを造られ、すべて知恵によって造られました。被造物は、地に満ちています。(詩篇一〇四篇24節、創造主訳)

「♪ 進化♪ 進化♪」の大合唱

h2_1.jpg「ラーメンが進化しました!」
 テレビから聞こえてきたコマーシャルの声に「何事か!」と驚いたのは、かれこれ二十年近い昔である。それでテレビを見に行くと、今までは油揚げともやしと豚肉のこまぎれが少し入っているだけだったラーメンに、大きな焼き豚と、厚くて噛み応えのあるかまぼこと、京ネギと...と賑やかに具が入っており、上等のだし汁を使って格段に美味しくなったということが、「ラーメンの進化」の内容であった。
 当時は、そんなに「進化! 進化!」とは言わなかったように思うが、あれ以来、人々が「進化」という言葉遊びを盛んにし始めるのに、そんなに時間は掛からなかったようである。日本のテレビから最初に覚える日本語は「新発売!」という言葉だと、ある外国人が教えてくれたのは二十年くらい前である。日本ではそれくらい新しい製品が次々と改良?あるいは改変されて発売されるようである。それ以後、数年経たない間に、マスコミは「新発売」という言葉より「進化」という日本語を人々に教えるようになっているようである。マスコミはある意味で最高の教育機関であり、大きな教育効果を上げている。「進化化説」をあたかも証明された事実であるかの如く、進化論、進化論と大合唱をして人々を教育し続けている。進化が正しいのだと真正面から「教えている」番組も多数あるが、教育という顔を見せないで進化とは関係の無い様々な番組、娯楽番組まで幅広いジャンルの数多くの番組と、そしてコマーシャルまで含めて総動員で、「進化が科学的に証明された事実である」と実に巧妙に教えている。

技術革新の大波のうねりに乗って

h2_2.jpg 半世紀前には白黒であったテレビがカラーになり、画面が小さいのに大きなブラウン管が後に付いている馬鹿でかい代物がテレビというものであった。時代と共に、かさの高いブラウン管がなくなり、液晶テレビになり各社競争をしてどんどん薄くなり、画面が大きくなっている。
 上部に氷を入れて冷やしていた氷箱を知っている人はもう余りいないかも知れないが、それが電気冷蔵庫になり、容量が大きくなり、冷凍庫まで付いた冷凍冷蔵庫が普及し始め、また冷蔵効果が極めて良くなった。
 一九七〇年代初頭、筆者は米国東北部、非常に寒い地方に住んでいたのだが、早朝エンジンの掛からない車が続出した。が、日本のトヨタの車は凍えつく朝でもエンジントラブルがなく、さらに雪を融かすために塩を路上に撒くのだがそういう悪条件にも故障を起こしにくいと非常に評判が良く、日本人として誇らしい気持ちをチョッピリ味わった。車が故障すると手も足も出なくなる車社会にあって、これは小さなことではなかったのである。現在、車は「進化」して、そんなにひ弱でなくなっていると宣伝されている。
h2_3.jpg 一九四五年、世界大戦が取り敢えず終わって、世界中で教育、科学、研究、文化活動などに取り組む余裕が出て来て、上に少数例を挙げたように、技術革新のめざましい進歩は誰の目にも明らかに見えるようになった。技術者の懸命の努力により、ありとあらゆる物の機能は目を見はるばかりに改良に次ぐ改良が重ねられ、まるで別の物に思われるほどになった。こうして「良くなった」「改良された」「進歩した」という内容を総称する言葉として、人々は「進化した」という言葉を借り物として用いたのだが、やがて借り物であることを忘れて、この言葉が定着してしまった。「進化した」という言葉が耳に心地よく、何となく「かっこいい!」と思い始めたのであろうか?「このように進化したから、この方が良いよ。買え!買え!」と人々を誘惑する。その方が良いという宣伝に何となく引っかかり、また買い換えないと時代に乗り遅れるかの如き錯覚に陥るのであろうか?「進化」という言葉は、誘惑に引っかからせるのに絶妙の効果を発揮する言葉であったようである。
 スポーツの世界でも、新記録を樹立すると、「たまたまです」「運が良かったのです」などと言うのが「奥ゆかしい、謙遜な人柄」と褒められる。冬のオリンピックがやがて開かれるが、足が震えそうな高いジャンプ台からいかにうまくジャンプするかを選手たちは工夫し、訓練を重ねて飛距離を伸ばし、着地の姿勢が美しくなって「進化した」という。じっと待っていて「偶然進化した」わけはなく、ありとあらゆる工夫を重ね、厳しい練習を積んで初めて素晴らしい記録が達成されることを、本人も他の人も百も承知である。それでも、「進化した」と言う方が「かっこいい」と思うようである。

「進化」という言葉を流行らせた犯人は

「ポケモン」が「進化」という言葉を流行らせた犯人だと、ある人が教えてくれた。「ポケモンって何?」という質問をするのは筆者くらいかも知れないが、一九九六年初頭に売り出されたポケットモンスターというゲームソフトシリーズで、登場する架空の生物だそうである。「進化」という言葉が爆発的に流行し始めた時期と、ポケモンが市場に出た時期は、確かに一致している。

二百六十年の夢から目覚めて

 日本はどの国よりもいち早く進化論を受容した進化論先進国である。しかし、受容したからと言って直ちに熱心に教え始めたわけではない。「進化」が大きくもてはやされるようになったのは、実はそんなに昔ではない。もとよりその間に進化思想がムクムクと大きくなるための土壌、土台が営々と耕され、築き上げられてきたのは事実であるが、そのことについては別の機会に詳細に記述する予定である。明治時代、森有礼が文部大臣であった時代には教科書に天地創造の記述があり、現在のように創造を完全に排除するという思想がこの日本の社会を覆い尽くしていたのではないようである。
 明治維新で鎖国を解き、閉ざされていた外の世界が見えてきて、こと文明ということに関してだけ言えば遅れに遅れていることを日本は発見した。世界の陸地分捕り合戦にそれまで全く参画できず、取り返しが付かないほどに遅れており、日本は逆に分捕り合戦の餌食にされようとしていたのである。「西欧諸国の餌食にされてなるものか、この遅れを取り戻さなければならない」という焦りが、明治、大正、昭和の歴史の歩みに色濃く反映した。そして、遂に第二次世界大戦にまで突っ走る結果を生んでしまったという事実は否めないだろう。本来は教育熱心であった日本人が、この様々な戦いを勝ち抜かなければならなかったために国全体がその日暮らしを余儀なくされ、文化・科学・研究・学校教育について落ち着いて取り組むことが出来ず、その場しのぎをしていた事情が皮肉なことに幸いして...進化論を熱心に教えるには至らなかったようである。
 進化論を学校教育で詳細に教えるようになったのは、そんなに古いことではない。第二次大戦で「無条件降伏」という無残な結果に終わった時、焦土と化していたのは国土だけではなく、人々の精神性もまたボロボロになっていることに指導者たちは気が付いた。この小文の主題は、国土が物理的に焦土と化したことを語ることではないが、物理的な出来事と目に見えない精神的な内実とは切り離して考えることが出来ない密接な関わりを持っているのである。人間は歴史から学ばないようで、してしまった間違いや辛いことはなるべく早く忘れたいので、第二次大戦に至った経緯や、その後のことをうやむやにしてしまおうとする圧力が日本の社会に、いや世界中で働いているようである。

進化論に猛進する足掛かりとなった戦争の爪跡


h2_4.jpg 写真の無数の黒点は写真の傷やゴミではない。B29 爆撃機から日本の市街地に連日連夜降り注がれた焼夷弾や爆弾の実写である。戦争を覚えている世代が少なくなって来ている昨今、人類の犯した愚かなことを、きちんと歴史に留めておかなければならないと筆者は考えている。日本は一九四五年の敗戦後、普通の人々が住む家がなく、まともに食べるものがなくて空腹を耐え忍び、無視できない数の人々が飢え死にしたのだと聞いても、どこの国のことかと軽くしか受けとめない日本人が今では多いのではないだろうか。それぐらい、日本人は「平和ぼけ」してしまっている。
 一九四五年八月六日、広島原爆投下で約一六万人が死亡、八月九日には長崎原爆投下で約一五万人が死亡した。被曝した人々の悲惨さは、一言で「死亡」などと片付けられない、のたうち回って命を奪われた生き地獄さながらだったことが記録に残されている。尊い命を頂いた人間にこのようなことは「二度と再び!」起こってはならないと、人々は誓ったはずである。
 この二発の原爆のことはある程度知られているが、それ以外の市街地に落とされた焼夷弾、爆弾によって何事が起こったかは余り知られていない、あるいは忘れさせようとする様々な力が陰に陽に働いているのかも知れない。一九四五年三月一〇日、東京大空襲では一夜にして一〇万人以上の都民が、生きながら焼き殺されるという地獄を体験して命を失ったのである。当時、マスメディアが今のように発達していれば、この「広島」「長崎」「東京大空襲」の惨事、人類史上最大の虐殺の地獄絵が世界の人々に伝えられたであろう。どれ位の回数、どれ位広範囲に、非戦闘員の居住区、市街地に空爆が行われたか、ざっと数字を並べてみよう。東京:一〇六回、大阪:三三回、死者一万人以上、名古屋:六三回、死者八六三〇人、神戸:一二八回、死者八八四一人、京都:二〇回以上、死者三〇二人である。そして、それ以外の地方都市では、鹿児島、熊本、福岡、呉、岡山、姫路、和歌山、徳島、高知、奈良、静岡、浜松、千葉、鎌倉、福井、仙台、北海道等々、他にも日本中隈無く、上空から爆弾や焼夷弾が降り注ぎ、まさしく日本全土が焦土と化したのである。(データーはウィキペディアより引用)。
 非戦闘員・一般住民への殺傷行為は、今は国際法上認められないし、そのような行為は国際社会からゴウゴウと非難を浴びることになっている。にもかかわらず、第二次大戦のこの大虐殺は余り語られることはない。もとより空爆を受けたのは日本だけではなく、イギリス、フランスはドイツによって、そしてドイツはアメリカから爆弾・焼夷弾を山のように浴びせられた。
 二〇〇一年九 月十一日に起きたアメリカ同時多発テロ事件は、もちろん赦されないことではあるが、それとは比較にならない大がかりな虐殺行為が第二次大戦では行われたのであった。エノラ・ゲイから広島へ原爆投下後、副操縦士が「何ということをしでかしたのか!」と絶句したことはよく知られているが、にもかかわらず、もう立ち上がる体力を残していない日本に、二度目の原爆を長崎へ投下した行為は、さらにさらに赦されない。この二発の原爆でさえ、必要悪であったという論理が相当まかり通っている人間の罪深さを思わずにはおられない。上空からの一般市民へのこの虐殺行為は、後世人類が正気を取り戻した後、必ず再検証されなければならないと筆者は考えている。文化遺産、芸術作品を傷つけないようにと、京都や奈良への空爆は避けられたのに、人々を殺すことには全く痛みを感じなかったとは、どういう思想、どういう精神構造だったのだろうかと首をかしげる。

進化論教育に力を注ぎ始めた日本

h2_5.jpg 敗戦の焦土から日本人は不死鳥の如くに甦って、世界を驚かせた。しかし、かつて鎖国の遅れから立ち直るために行ったのと同じ轍をまた性懲りもなく辿ったのである。
 次回、進化論を推し進めるために整備されたレールをまっしぐらに駆け抜けようとした愚かな歩みを検証することにする。


このシリーズは、マルコーシュ・パブリケーションの発行するキリスト教月刊誌「ハーザー」で2014年2月から連載した内容を転載したものです。