5.日本人の心の拠り処

 教えを始められたとき、イエスはおよそ三十歳で、人々からヨセフの子と思われていた。このヨセフは、ヘリの子、順次さかのぼって、...三十八代 ... ナタンの子、ダビデの子、エッサイの子、オベデの子、ボアズの子、... 七代 ... ユダの子、ヤコブの子、イサクの子、アブラハムの子、テラの子、ナホルの子、...七代... セムの子、ノアの子、ラメクの子、メトセラの子、エノクの子、...四代...セツの子、アダムの子、このアダムは神の子である。(ルカの福音書三章二十三節~三十八節)

 明治維新で外の世界が見えるようになり、「追い付け追い越せ」の焦りの結果は第二次世界大戦と敗戦という惨憺たる結末であった。「ピカピカの異邦人」で生真面目な日本人は、新たな「追い付け追い越せ」で頑張り通した。国土以上にボロボロの廃墟と化した日本人の頭脳と心に進化論教育が浸透し、進化思想の濁流に呑み込まれ翻弄され、そして「宣教師の墓場」と軽蔑されるまでに至っていることを前回までに書いた。

日本人は根無し草か?

 個人の歴史としては大昔のことになるが、筆者がアメリカに暫く住んでいた頃、同様に暫く滞在していた日本人・・・平均的な日本人ではなく外に目が向き、アメリカに好意を持っている日本人・・・と接触して気が付いたことは、共通する特徴をいくつか持っていることであった。その内、余り好ましくない一つの特徴は、日本人であることに奇妙な劣等感と誇り高い自意識とが混在しており、日本人でありながら日本のことを余りにも知らない人が多いという悲しい現実であった。

 アメリカに対しては大きな関心と好意を寄せているので相当の知識を持っているのに、肝心の母国のことを知らない。日本の地理を知らない、歴史を知らない、文化を知らないという「知らないずくめ」の日本人には「がっかり」を通り越して、うんざりさせられた。高度の知識を言っているのではない、しかし、「愛媛県は九州だったっけ?」「明治維新まで日本は外国と貿易しなかったの?」「五・七・五は、短歌だった?俳句だった?」「『河童』を書いたのは夏目漱石だった?」というような信じられない会話が飛び交うのである。

 筆者の勤務する京都インターナショナル・ユニバーシティは小学校から大学までの学校で、聖書六十六巻を信じる信仰に立っている。教職員は全員この信仰に立っているが、生徒たちはもちろん様々であり、ここで学んでいる間にイエス様の救いを受けることが出来ますようにと祈りを込めて教育が行われている。この学校へ来る日本の生徒たちの多くが将来外国に留学したい希望を持っており、上に書いた留学生と共通の特徴を持っている。外国のことは熱心に学ぼうとするが、日本のことは知らない。

無条件降伏から抜け出せていない日本

hazah_5_1.jpg  荒れ果てた国土は瓦礫が片付けられ、新しい建物が建てられ、樹木が植えられ、かつて焦土と化した場所であることなど想像できない状態にまで見かけ上は持ち直した。物理的な破壊は修復されるが、目に見えない負に働く遺産は、癒されることなく水面下で脈々とうごめいている。第二次世界大戦の「無条件降伏」は余りにも深く人々の心を傷つけ、人間としての誇りをズタズタに引き裂いてしまったようである。この目に見えない大怪我は内臓に深く達し、修復しがたい傷として世代を超えて引き継がれ、人間として日本人としての誇り・尊厳は跡形もないほどに拭い去られてしまったかのようである。

 日本の指導者たちは、国体がどのように形成され、どのような歴史を歩んできたのかなどは、どうでもよいかの如き教育を日本国民に施してきたのではないだろうか。彼らは自分たちのしでかした過ちを忘れたかった、何とか「臭いものに蓋をしたかった」そういうことであったのかも知れない。戦勝国による極東国際軍事裁判・それまでの指導者が絞首刑にされた痛手によって、日本人は誇りを引き裂かれ、行く手を見失って迷子になってしまった。

 母国のことをないがしろに思う日本人、日本人である自覚も誇りも吹き飛んでしまい、「自分は何者であるか?」というルーツさえも知らない人間になっているようである。かつて、筆者がポスドク(博士号取得後、大学で研究する地位)としてアメリカへ出かけることになった時、修士課程で直接の指導者であった先生(筆者より十歳近く年長)が「(かつて日本に進駐してきた戦勝国)アメリカで、(惨めな敗戦を体験した)日本人としての誇りを持つことが出来るかどうか」と言われたことが忘れられない。外国に出て初めて日本人であることを見つめるということを暗に仄めかされ、戦争を体験的には知らず、敗戦の心の痛みを知らない筆者にそのことを思い起こさされたのだろう。

 戦争を微かに覚えているのは筆者の世代が最後であり、日本人口の大半にとって敗戦はただの過去であり、どうでもいい歴史でしかないようである。しかしながら、ついこの間に起こった出来事をそのようにしか考えられないこと自体が、目に見えない凄まじく大きな負の遺産として、次の世代へ、その次の世代へと引き継がれてきてしまっているのである。そして引き継いでほしい大切な遺産は忘れ去られてしまったようである。「戦争をしてはならない」「ましてや非戦闘員への爆弾投下など論外である」「原爆・核兵器は駄目だ」「放射能は恐ろしい」「原子力発電は平和利用ではない」などという世代を超えて引き継がれなければならない重要なメッセージはかき消されてしまった。

日本人を育んできたもの

 西欧諸国では、進化論は簡単には受け容れられなかったし、今なお、一定の批判が健在であるのは正気を失っていない証拠である。それなのに何故日本では抵抗もなく、いち早く受け容れられ、今も猛威を振るい続けているのか? 宗教の自由が認められ、伝道もほぼ完全に自由であるのに、どうしてこんなに福音が撥ね付けられるのか? 決して正面から反対しないが、最終的には穏やかに弾き飛ばしてしまう。外国からの宣教師であれ、日本の牧者であれ、福音宣教を真剣に考えている人々は、この荒れ地を前にしてどのように耕すべきか分からないで途方に暮れ、悩みくたびれ果てている。

 「信じます」と簡単に口で信仰告白をした人々の多くが、洗礼を受ける前に、あるいは洗礼を受けても直ぐに、何故あっさりキリストを離れてしまうのだろう? どうやら「心に信じて義と認められ、口で告白して救われる」(ローマ書一〇・10)という信仰義認の大切な前提「心に信じて」の部分が達成できておらず、心が伴っていないのに誰かに復唱させられて、口先だけ「信じます」を唱える人が大勢いるのだろう。そもそも、ピカピカの異邦人・日本人には、「義」という概念は無縁であり、何時間も掛けてじっくりと学ばない限り理解出来るはずがないのである。このシリーズでも、「異邦人」の本当の意味・内容を説明しないまま使ってきているが、機会を見つけて説明したいと思っている。

 「義」が解っておらず、「罪」が解っていないからこそ、形だけ信仰告白をして洗礼を受けても、八百万の神々の最後にイエス・キリストをくっつけて平気なクリスチャンが多いという現実があるのだろう。もとより大抵の人は自分がそのようなことをしているとは夢にも思っていないが、日常生活の中に異教の神々がどっしりと胡座をかいているのである。宗教的な臭いを漂わせないで私たちの生活に食い込んでいて、よほど気をつけていても黙認していたり参画さされていたりしており、それから逃れることは並大抵のことではない。そのような様々な風習や、科学だという仮面を被った占い(血液型占いが好例である)、進化論が堂々とキリスト教会に入り込んでいるのが一つの証拠である。かくて、行動に於いて、また心のありように於いてはなおさら、キリストの優先順位を一つ上に上げるのさえ大変なのである。

日本の土壌、日本の歴史、日本人の心の拠り処

 日本がいつ安定した国体にまとまったかは諸説あるようであるが、日本の国は、是非善悪の話とは全く関係なく事実として周囲を海に囲まれて世界と没交渉で、孤立して存続することが可能であった国であった。外に世界が広がっていることを施政者たちが知らなかったわけではない。このことは必要があれば別の機会に語ることにするが、一般国民全体という視点で語るならば、十九世紀後半に至って初めて、海の向こうに別の国々が存在していることを体で感じたのである。

 では、日本人が立っている土台、福音を受け容れるのに大きな妨げになっているもの、日本人の心を捉えているものは一体何なのだろうかと、改めて日本の歴史を振り返ってみた。日本の歴史の節目、節目で重要な曲がり角を指し示したのは、一体何なのか? そして、それこそが蓮の葉が水を弾くように、日本人がいとも穏やかに福音を弾き飛ばす力になっているのではないだろうか?

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 日本史の重要な曲がり角で行く手を定める役割を担っていたのは、常に天皇の存在であった。神話から始めて日本史を紐解くと、世界に例を見ない天皇の絶大な存在があり、日本人の信仰的・民族的ルーツになっており、これとキリスト信仰との関わりについて、次回共に考えたいと思うが、ここでは第二次世界大戦の終結についてだけ、少し触れておく。

 原爆など投下しなくても、日本がボロボロになっていたのは明々白々であった。B29が連日連夜、日本の上空を飛びたいだけ自由自在に飛んで、空から焼夷弾や爆弾をまるで面白がっているかの如く、雨あられと降り注いでいたのである。そして、挙げ句の果ての原爆に対して、敵軍が上陸してきたら竹槍で戦うという笑い話にさえならないことを日本人は本気で考えて、割烹着ともんぺ姿の弱い女性が訓練を受けていたのである。国民の最後の一人になるまで竹槍で戦って、神である「天皇」を守るつもりであった。

hazah_5_3.jpg 天皇は神であったのであり、天皇の命令で戦場に赴き、天皇のために死んだのである。その天皇が戦争をやめると一声(玉音)命令を発したので一斉に竹槍を置いて、考える前に絶対服従したのである。これが日本人であった。全国のあちこちで、あるいは戦場で、また、満州などで、天皇の玉音放送を聞いて地面に土下座して泣いたという。

 無条件降伏した日本に進駐してきた連合軍、多分ほとんどはマッカーサーが率いるアメリカ軍であったが、日本に進駐したなら日本人は死にものぐるいで武力で抵抗するであろうと予想していた。しかし、ほとんど何の抵抗もなく日本人は極めて従順に天皇に従い、進駐軍を受け容れたことに非常に驚いたという。日本人は天皇を尊敬し、天皇の命令は絶対であったからであるということをマッカーサーは悟ったので、天皇の戦争責任を追求する他の戦勝国の強い主張を抑えたのである。もし天皇を処刑したならば、日本人は一斉に蜂起するだろうと恐れたからであり、確かに、処刑していたら日本人はただでは収まらなかっただろう。その犠牲は如何ばかりだったか計り知れないものがある。日本人の中には天皇崇拝の心が脈々と生き続けており、そして天皇を一途に信じ、いのちを投げ出すことの出来る民族なのである。天皇が言ったら、それは必ず「実現するし、従う」という強い信仰があるのである。

百人隊長は答えて言った。「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば、私のしもべは直ります。(マタイの福音書八章八節) 

 創造主に契約を託された民は、アダムの子孫、ノアの子孫、そしてアブラハムの子孫という誇りを持っている(マタイ三・9)。そして、系図的にはこの家系からユダ→ダビデ→そしてヨセフおよびマリアからイエス・キリストはお生まれになった。異邦人もアダムの子孫、そしてノアの子孫であり、そしてイエス・キリストを通して、同じ恵みを受けることが出来ると聖書に約束されている。

 この律儀な日本人は、もし大きな恵みにより創造主を信じる信仰を頂きさえすれば、イエス・キリストと共に歩むビクともしない信仰を持つことが出来る民族だということがよく分かるだろう。「ただ、おことばを下さい。そうすれば従います。」というのが日本人なのである。


このシリーズは、マルコーシュ・パブリケーションの発行するキリスト教月刊誌「ハーザー」で2014年2月から連載した内容を転載したものです。