11.進化の証拠」なのか?

序論

 十一月号で進化論が成立するための二つの科学的大前提を述べた。第一に宇宙は過去永劫の昔から存在しており、宇宙には始まりが無かったとする定常宇宙論である。第二は、生命が偶然に湧いて出たという生命の自然発生説である.そして、この二つの説が完全に否定されたことを説明した。したがって進化論の大前提・土台がもろくも崩れ去り、跡形も無く木っ端微塵になってしまったことを論述した。もはや新たに云々する余地は残されていないのである。

 にもかかわらず、相変わらず進化論が論じられ続け、マスコミやその他一般の話題としてはまるで事実であるかの如くに、この土台の無い建物が空中に亡霊の如く漂い続けているという有様である。そして、専門家によって否定されてしまった様々ないわゆる「証拠」が、あたかも真実であるかの如くに語り続けられているのである。

 総括的論理は極めて重要ではあるが、各論もまた分かりやすいという利点もあり、一般人にも理解し易い方法で世の中の間違いを正すことも重要であると思われる。その幾つかを整理して順番に取り上げ、部分的に進化を支えるような弱い足場さえ無いことを詳細に説明する。

「証拠」にされた代表:始祖鳥

hazah_11_1-2.jpg〈〇〇億年待てばワニは鳥になるか? 想像上の進化の流れ〉
 今まで説明してきたように、進化とは、①悠久の長い、長い年月の間に、②全く偶然に、③有機物が発生し、④遂に一つの細胞・生物が発生し、それが、⑤偶然の積み重なりによって、順次上等の秩序を獲得し、⑥最終的にヒトになったという仮説である。

 例えば、ある時点でワニのようなは虫類にまで進化したと仮定すると、それからワニの性質を一%、また一%、そして一%と順次失っていき、代わりにトリの性質を一%、また一%、そして一%と偶然に獲得して行く。そして~億年の間に中間的な生物、ワニ半分・鳥半分というような生きものになったと推定する。一八六〇年に発見された化石を、この中間的な生物の化石であると決定し、始祖鳥と名付けたが、この化石は相当脆くて、岩からはがすことは出来ない。このハトくらいの大きさの始祖鳥は、世界で七~八体発見されており(全身の骨が完全に発見されたのは一体あるかないかで、背骨が不十分だったり頭がなかったりしているものも一体と数えている)、は虫類と鳥類の中間型の生きものの化石であると決めつけられて長い年月を経過した。

〈化石の詳細な検討〉
hazah_11_3-4.jpg 始祖鳥は図に示したように、当初いくつかのは虫類の特徴と、いくつかの鳥類の特徴が挙げられた。
 は虫類の特徴として、①くちばしの中に歯があること、②翼にかぎ爪があること、③長い尾骨を持っていることが挙げられた。
しかし、絶滅した鳥類でくちばしの中に歯のあるものが数多く発見されたため、これは鳥類の特徴として可能であることが分かった。また翼のかぎ爪に関しては、ツメバケイの幼鳥が翼にかぎ爪を持っており、またダチョウやエボシドリも同様にかぎ爪を持っているので、鳥類の特徴と見なしても良いことが判明した。さらに長い尾骨は、白鳥の尾骨に酷似していることも分かった。

〈結論〉
 始祖鳥と呼ばれた化石の特徴はすべて、本物の鳥の特徴を備えており完全な鳥であった。進化論者も進化の証拠として採用せず、鳥であると結論づけた。

描かれた進化図に酔っ払ったウマ

〈ヒラックスに似ていたヒラコテリウム〉
hazah_11_5-6.jpg 一八四一年リチャード・オーウェンが発見した化石がヒラックスという動物に似ていたので「ヒラコテリウム」と名付けられた。このヒラコテリウムは、前肢の指が四本、後肢の指が三本であり、写真のヒラックスのような姿形であったと想像された。すなわち、化石から想像される動物は丸い体型をした小さな動物であり、当初からウマを連想させるような姿形ではなかったのである。後にウマの先祖に決定して、進化を強調したエオヒップス・黎明馬という名も付けられたが正規の学名ではない。

 ヒラックスは今でもイスラエル周辺に棲息しているタヌキかウサギのような小さな動物(体長約四十センチメートル)で、聖書には「強くないが賢い、岩場に住む」と書かれており、日本語では岩ダヌキと翻訳されている(箴言三十・24〜26)。

〈ウマの先祖にされたヒラコテリウム〉
 ヒラコテリウムの化石発掘後、四つ足の様々な動物の化石がアメリカ大陸やアジア大陸など世界各地で発掘された。これら化石になった動物がかつて広く分布して生きていたのは紛れもない事実である。しかし、これら動物の間に何かの関連があるという証拠は何も無い。にもかかわらず、このヒラコテリウムがウマの祖先であると決定され、それが順次進化して、遂に現生のウマになったという一大仮説が打ち立てられた。そして、その仮説に当てはまりそうな化石を順番に並べて、遂に見事なウマの進化図を描き、博物館に展示し、教科書に掲載して長い期間に亘って子どもたちに教えてきたのである。

 提唱された進化の道筋は、①ヒラコテリウムは約五千万年前に生きていた。②進化に伴って、森林から草原に移動し、食性が木の芽・葉から草食になり、硬い草を噛むために研磨力を持つ高い強い歯に進化した。③進化に伴い、順次大きくなり、初め四十センチメートルくらいだったが、遂に現在のウマのサイズになった。④草原で走るために進化して、足の指が三本、四本から真ん中の指が大きくなり、それ以外の指が退化して遂に消滅した。

〈想像で描いた進化図〉
 
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 長期間に亘ってウマの進化図として教えられた人類は、それが正しいものであると信じ込むに至った。確かに、ヒラコテリウムと名付けられたヒラックスのような小さな動物はかつて生存していた。また、写真のメソヒップスやメリキップスも確かに存在し、化石が発掘された。これら動物は相互に何の関係も無い別々の動物として、遠く離れた土地に、海を隔てた遠い大陸に生きていた。それを、人類が偏見に基づいて見事な進化図を描いて人々を教育した。また、更にこれらの復元図を一枚の絵の中に描いて、一層緊密な関係のある動物たちとして描いてさえいる。

〈体の大きさ〉
 体の大きさが進化と関係を持ち得ないことは、例えば身近な犬を見れば歴然であり、大きなセントバーナードやグレイハウンドも、手のひらに乗りそうなトイプードルやチワワも同じ犬である。馬に限って体の大きさが何故このように大きな意味を持たされたのか理解に苦しむ。

 現在生きている馬は表に見られるように、非常に大型の馬から、お馴染みの中型馬サラブレッドや宮崎県の御崎馬など小型の馬もいる。ミニチュア馬は犬ほどの大きさである。馬もまた、体の大きさが進化とどんな関係も持ち得ないことは明らかである。
 ポニーは乗馬にも用いられるが、更に小さなミニチュア馬は小型すぎるので乗馬に適さないが、ペットとして飼われることもあれば、犬の数倍の寿命を持ち、また調教されやすいこともあるので、盲導馬・介護馬として活躍が期待されている。

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〈出土した地域・指の数・歯の高さなど〉
 これらかつて生きていた動物を進化を語る材料にする際に、体の大きさ以外に重大な問題は、先にも記したように化石が出土した地域である.地理的に遠く離れた地域で発掘された化石同士にはどんな関係も持たせられないことは明らかである。仮説に一致するように「化石」を並べるのは、専門家でなくても受け容れることは出来ないだろう。
 また、指の数や歯の形状や高さなどは、一定方向への変化が見られておらず、変化しなかったり、逆方向へ変化したりしており、進化と結びつけることは不可能である。

〈進化論者の結論〉
 進化を信じ、今も研究しているいわゆる進化論者は、ウマの進化図を進化の証拠として採用しなくなっている。進化の証拠は別に見つかるはずであるという信念に基づいて、別の証拠を探しているところであると思われる。

結語

 創造主は、植物を創造なさるときに三回、海の動物と鳥の創造に際して二回、野の獣、這うもの、家畜の創造に際して五回、合計実に十回も「種類にしたがって」とおっしゃった。「種類にしたがって」お造りになり、種類にしたがって「生めよ、増えよ」と祝福なさったのである。この「種類」とは、現在日本語で用いている漠然とした意味に用いている「種類」という言葉ではなく、厳密な定義の下におっしゃった重要な言葉であり、それは「生めよ、増えよ」の限界を規定する言葉として使われたものである。このことは、回を改めて説明する。

 神は、種類にしたがって野の獣を、種類にしたがって家畜を、種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。神はそれを見て良しとされた。(創世記一章二十五節)



このシリーズは、マルコーシュ・パブリケーションの発行するキリスト教月刊誌「ハーザー」で2014年2月から連載した内容を転載したものです