13.進化が肉体に残した痕跡?

[ Ⅰ ] 痕跡器官という深い闇の思想

(一)痕跡器官の定義と考察
 ①人の尾骨のように、退化により本来の用をなさなくなった器官が、僅かに形だけ残っているもの。【注釈:この本来の用とは何か?】 ②類縁関係に於いて、同一分類群の相同器官で、他の群で使われている役割を果たさない場合、例えば蛇の肛門直前の一対の爪は後肢の痕跡である。【注釈:蛇には昔、脚があって歩いていたはずであり、進化(退化)によって脚を失ったと決めているだけである。】 ③進化の過程で、次第に縮小・退化・消失しているものを痕跡器官という。生きた生物で進化の経過を見ることが出来る重要な証拠である。【注釈:結論が先にあって、その結論が証拠であるという論理の破綻を来している。】

(二)自らを陥れた蟻地獄
 人類が陥ってしまった余りにも不幸な「進化仮説」の成り立ちとその後の歴史は、這い出すのは至難の業と思われる深くて暗い「蟻地獄」の如き感がある。医学・生理学・生物学的な知識が現在より遙かに乏しかった頃、体の中でどのような生理的役割を果たしているか解らない組織や臓器が数多くあった。人間は理解出来ないことがあると、「未決」という都合の良いゴミ箱に投げ込んで、よく分らないまま処理済みの判を付いてしまうようである。生理的役割について未解明な数多くの臓器は、「進化の痕跡器官」という底なしの大きなゴミ箱に投げ込まれてしまい、進化を示す証拠であると決めつけられて、長い時間が経った。
 その幾つかを取り上げて、詳細に検討してみることにする。

[ Ⅱ ] 進化という底のないゴミ箱

 「底なしゴミ箱・痕跡器官」に投げ入れられたのは、どの臓器で、何種類であったか、歴史的に辿るつもりはない。しかし、生命維持のために必須、極めて重要な臓器が不要なものと考えられ、痕跡器官のゴミ箱に棄てられたのである。

 道草の話になるが、ヒトゲノムの解析においてタンパク合成の情報を持った遺伝子としては機能していないと見なされたDNA配列をすべて「ジャンク・ゴミ」として処理していた。ところが、解析が終了した時に、人間のDNAの九十八%がこの「ゴミ」であることを発見して科学者たちは唖然としたのである。ある意味でゲノム解析は失敗であった、すなわち最も重要な目的を全く達成できなかったことに気が付いたのである。生命の本質に多少とも触れるような情報は全く得られなかったのである。現在、科学者は捨てたゴミを拾い集めて、視点を変えて改めて研究している。次元は異なるが、痕跡器官と同じ発想法であり、理解出来ないことは全て不要物・ゴミと考えるのが、罪深い人間という生きものであるらしい。

hazah_13_1.jpg 痕跡器官とされていたいくつかの臓器をイラストに示した。胸腺や脾臓がかつて痕跡器官とされていたということには、信じられない思いをされる方が多いだろう。虫垂でさえ、「エ!?痕跡器官だったの?」と思われるかも知れない。かつて、これらを痕跡器官と言ったことさえ医学書には書かれておらず、それを忘れたかの如くに重要な生理機能が堂々と力説されている。痕跡器官という言葉さえ書かれていない医学書が多くなっているようである。学問の最先端どころか、先端から十歩も遅れて書かれる医学の教科書でさえ、痕跡器官は今や死語になりつつあるようである。「ところが」、である。人々への影響力の大きいマスコミにもてはやされている医者たちは、先端医学どころか、教科書からさえ遅れていて、平気で痕跡器官の話をし、「反復説」(12.進化思想により混迷の科学へ突入で紹介)を滔々と説明している始末である。これら臓器は不要であるどころか、いずれも私たちのいのちを支え、密接な関係を持つ重要な臓器であるので、次回で少し詳細にご紹介する。

[ Ⅲ ] 尾骨~しっぽの名残だと??~

(一)痕跡器官であるという主張
 今まで、痕跡器官の話として虫垂や胸腺を取り上げることが多かった。それは人々が話題にすることも多く、さらに胸腺は生命に必須の臓器であるので、その機能がある程度知られていると思われるからである。よって、重要な臓器を痕跡器官であるはずがないことを理解し易いだろうと思ったからでもある。

hazah_13_2.jpg しかしながら、痕跡器官と決めつけられて人の心を蝕んだ最悪の臓器は、虫垂や胸腺よりは尾骨かも知れないと思い始めた。人間はかつて樹上で生活していたのでバランスをとるために尻尾を持っていたが、平地に降りてきて二本足歩行を始めた段階で尻尾は不要になって短くなり、尻尾の名残が椎骨と融合して尾骨となった。尾骨はサルだったときの名残だと信じている人は相当いるようである。悲しむべきことに、尾骨は進化の痕跡器官に過ぎず不要のものであると信じさせられ、自分の先祖はサルだと信じ込ませる材料になっている。

  進化論に立った分類学では、ヒトはサル目の一種にされている。解剖学的にはサルでは尾がついている箇所にヒトは尾骨を持つ。サル目でヒトに繋がる系統では次第に尾は小さくなった、「退化した」と考えられているのである。

(二)尾骨の構造
(1)尾骨と支え合っている周辺の骨尾骨がどういうものであるか、腰を強く打って痛い思いをして始めて、その存在に気付かされることも多い。どんな大きさの骨で、どのような形をしているのか余り知らないで、肛門の上あたりの骨だと何となく思っているのが普通だろう。昔、持っていた尻尾の痕跡であり、人間ではどんな役割も果たしていないと教わった通りに信じている人がほとんどである。

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 脊柱は、イラストに示しているように頸椎から胸椎、腰椎、仙椎と骨が連なっており、その末端に三~六個の尾椎が癒合しているのが尾骨で、数は個人差があって不定であり、先端は尖っている。脊柱の右側に仙骨部分から拡大して示しているので、尾骨周辺の骨がどのようになっているか多少分かるだろう。
 骨盤のイラストに示している腸骨、坐骨、恥骨は十七歳頃に一体化して一個の寛骨となり、また五個の仙椎が癒合して一個の仙骨となる。骨盤は大腿骨と脊柱の間にあり、左右一対の寛骨、仙骨、尾骨で構成されていて、強固に一体化して内臓の諸臓器など体全体を支えている。

 このように尾骨は尻尾の痕跡などではなく、初めからこの大きさと形で独立して造られ、重要な役割を与えられ、今もその役割を果たしている臓器なのである。このように人体の基本骨格を造り上げている骨は、大きな骨も小さな骨もそれぞれが、定められた大きさと形を与えられ、定められた位置に相互に調和を保ち、統率されて全体が造り上げられているのである。

(2)尾骨を取り巻く周辺の筋肉群 このように骨が一糸乱れず秩序正しくその座に収まって、然るべき役割を果たすためには、それぞれの筋肉もまた骨を支え、一体になって調和し、秩序ある体を造り上げている必要があるのである。
 脊椎全体に添って伸びている靱帯は、仙尾骨靱帯へ続いており、水平方向にも,仙骨粗面靱帯の繊維は尾骨に繋がっている。軟膜、終末繊維は円錐体の先端に伸びて,尾骨に繋がっている。このように、各種の筋肉、腱、靱帯との結合に尾骨は非常に重要である。

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 尾骨を取り巻き、支えている筋肉群のイラストを示す。小さな尾骨の周囲に普通には聞いたことの無い様々な筋肉が取り巻いている。梨状筋、腸骨筋、恥骨筋、恥骨尾骨筋、腸骨尾骨筋、肛門挙筋等々、それぞれの骨と筋肉が相互に力を合わせて人間の体が健康に機能を果たすことが出来るように造られているのである。

(三)尾骨の機能
出産後しばらくの間、座ると尾骨の周辺が痛むという事例が相当数報告されている。尾骨は通常は内側に湾曲しているのだが、いくつかの筋肉が靱帯で尾骨につながっているので、全く動かせないというわけではなく、出産にあたって胎児が産道を通る時に後に反り返る。このために出産後暫くは痛みを覚えるが、たわむことが出来る柔軟性によってしばらく安静にすれば、断裂した靱帯やゆるんだ尾骨の結合が元にもどって、症状はやがて自然に消える。

 座る時に、骨が体重を支えるが、前屈みに座る時には主として座骨が支え、後に寄り掛かって座る時には姿勢を安定させるために尾骨が支える。歩行時に重要な大腿にまでのびる殿筋にも尾骨は結合していて肛門を支えている。そして、肛門を開いたり閉じたりする筋肉をはじめ、全部で九つの筋肉の腱をつなぎ止める付着部に尾骨が存在し、然るべき役割を果たしている。これらの筋肉と尾骨がなければ、排便などの日常生活もままならない。尾骨は人間に必要な機能と形状を持った骨であり、進化の痕跡などでないことは明らかである。痕跡器官という不名誉な名称を与えて無視しようとした尾骨は、目立たない形でこのように重要な役割を果たしているのである。

[ Ⅳ ] 足の第五指

hazah_13_5.jpg 足の第五指は、巷では小指と呼ぶことが多いようである。足の指を呼ぶのに、手の指と同じように通称で呼ぶと最も不自然なのは、第二指の人差し指だろう。手の指は一応何かを指し示すときに使うという意味であるが、足の指ではどう間違っても「人差し指」にはなり得ないのは明白である。第四指も、薬指というのは足の第四指では不自然極まりない。
 ともあれ、この第五指が「不要な」指で、痕跡器官だと言われるとあっさり納得してしまうくらい、この指が何をしているのかよく分らないのである。

 生物学の研究の一方法として、組織や生体内分子などを除いたり傷つけたりすると、どのような影響が及ぶかを観察して、その機能を調べる方法がある。足の第五指についても、普通にはどのような働きをしているか全く分からないが、それが損なわれたときに何をしているか判明した。事故や凍傷で第五指を失った人は、まっすぐ歩くことが困難になることから、体のバランスを取るセンサーとして機能していることが明らかになった。イラストで示したように、正常な足跡では、第五指がしっかり地面を蹴っていることからも頷けるだろう。あってもなくても良いかの如くにあしらわれている小さな第五指が、ささやかな必須の役目を果たしているのである。

 座ったり立ったり、歩いたりする時に何も主張しないできっちり役目を果たしている尾骨や足の第五指のことを思い起こして、パウロが明確に述べていることを噛みしめてみよう。

[ Ⅴ ] 結語

 しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。 もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うこともできません。
 それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。(第一コリント書十二章十八~二十二節、二十五~二十六節)

 


このシリーズは、マルコーシュ・パブリケーションの発行するキリスト教月刊誌「ハーザー」で2014年2月から連載した内容を転載したものです