20.聖書を切り裂き、破壊する爆弾

コリント人への手紙第一 十三章十九、二十節
なぜなら、この世の知恵は、神の御前では愚かだからです。こう書いてあります。「神は、知者どもを彼らの悪賢さの中で捕らえる。」 また、次のようにも書いてあります。「主は、知者の論議を無益だと知っておられる。

 [序] 創造に関する自己流解釈の意味

hazah_20_1.jpg 創造は聖書に書かれている通りに行われたのではないという固い信念のもとに、創造の再解釈のための様々な説が提唱されている。創造について聖書の記述を疑った被造物である人間は、主の著書である聖書を「添削し」解釈し直すという赦しがたい冒涜を行ったのである。聖書の内容を各自が好みに合わせて変更することは、聖書そのものを否定することである。すなわち、聖書はもはや創造主の著書ではなく、知的で探求好きの人間の労作に貶めてしまうことなのである。

 

[Ⅰ] 自己流の再解釈諸説

 信仰の拠り所である聖書の、しかも重要な土台に疑義を差し挟んで信仰が無事であるはずがないという警告を最初に発しておいて間隙説・新間隙説と一日一時代説について少し説明し、また、それ以外の諸説を列記し、いずれの説も根本から破綻しており、成立し得ないことを簡単に解説することにする。(筆者のサイトに詳細に記しているので参考にされたい)。

http://andowako.jp/contents/creation/creation-the1day/gap-theory.html

http://andowako.jp/contents/creation/creation-the1day/1day1Era.html

 [Ⅱ] 間隙説・・・聖書を切り裂く説

 (一) 間隙説とは

hazah_20_2.jpg間隙説を簡単に図にまとめた。創世記一章一節の創造は何十億年も前に起こったこととし、一節と二節の間に存在する数十億年という間隙に全地質時代を経過し、進化論的出来事がすべて起きたと考える。そして、創造された全てが堕天使(悪魔)によって完全に破壊され、化石が山と形成され、二節の状態、すなわち「混沌」の状態がもたらされたと考える説である。植物も動物も積み重なった地層に全て埋もれて、化石として今に残されているとする。破壊されて「混沌」の状態になった後で、三節から三十一節に述べられている創造が文字通りの六日間に「再創造」されたのだという解釈である。


 天使の堕落は創造終了後、主が点検・祝福し、聖とされた安息以後(創二・3)、蛇がエバを唆した出来事(三章)以前のいつかであるのは聖書的に明白であるが、それが具体的にいつであるかは書かれていない。しかし、間隙説ではhazah_20_3.jpg二節以前の幻の時間、アダムの罪の遙か以前に天使が堕落したという前提に立たざるを得ない。主の聖なる創造の御業を堕天使(悪魔)が踏みにじり、破壊したということになる。悪魔が破壊した後で、言うなら修復作業のような形で、なお悪魔の様々な邪魔を受けながら主は三節から三十一節に書かれている通りに「泥にまみれた再創造」をなさったことになる。全知全能であり正義・聖・愛である創造主が、このように多くの苦しみと死を経由した再創造の後で、「非常に良かった」と絶賛して創造のみ業の終わりを祝福し、「聖」であると宣言なさることなどあり得ないことである。このような説は、全能の主に対する冒涜、侮辱以外の何ものでも無いだろう。

  (二) 間隙説が生まれた経緯・言語的解釈

創造の記述に関して再解釈をする必要があると考えた原因の一つは、二節の原語が難解であったために「混沌」と誤解してしまった言語的な問題にあるだろう。この点に関しては、ハーザー八月号に、またクリエーション・リサーチのニュースレターや学びのための冊子に詳細に紹介している。

 (三)  間隙説の自己矛盾・・・・地質時代の死の記録を含む

間隙説を提唱している人で進化論を真正面から主張している人は余りいないと考えられる。しかし、問題を「間隙」の中に棚上げすることによって、必然的に進化論支配に滑り込んでいる。

地層形成には数億年が必要であると仮定しており、その地層には苦しみと死の記録である化石が数多く発見されているので、間隙説は地質時代の体系に立たざるを得なくなる。すなわち、間隙説自身が進化論を包含し、この説そのものの中に大きな矛盾を抱えており科学的に成立しない。また、土台としている斉一説と対立する激変を間隙に包含した説でもある。

 

[Ⅲ] 新間隙説

 ①天使の堕落は二節の前、②一節と二節の間に幻の期間・間隙を挿入し、一度創造された全世界をサタンが破壊して、二節の混沌状態に至り、三節以降の創造は再創造であると考える点で、基本的に前記と同じ思想である。従来の間隙説と異なる点は、サタンが破壊活動を行う間隙の期間は長期である必要は無いと考え、進化を否定していること、また、この破壊は、いのち(動物・人間)の創造以前に起こったと考えており、化石はノアの洪水によって生じたと考えていることである。

 しかし、アダムとエバの反逆のために地が呪われ混乱を生じたこと、それ以前は神の支配下に秩序が維持されていたという聖書の記述に真っ向から対立する。完璧であり聖である創造主を結果的に否定しており、創造の過程に混乱が持ち込まれ、そして聖なる神がサタンに妨害されながら「再創造」を敢行なさったという考えに於いて、前記の間隙説と大差はない。

 

[Ⅳ] 一日一時代説

 (一)  一日一時代説とは?

創造は聖書に書かれている通りの順序で行われたが、それは六日間ではなく数十億年を経過したと考える。すなわち創造の一日は自然の二十四時間の一日ではなく、千万年から数億年、一地質時代に及ぶと考える。この考えの根底には進化論が深く強固に根を張っており、派生する地質年代を取り入れて聖書を解釈したものである。

 この考えを支持する聖書箇所として「主の御前では、一日は千年のようであり」と書かれている第二ペテロの手紙三・8が挙げられている。しかし、これは甚だしい誤解であり、これに続けて「千年は一日のようです」と書かれていることが無視されている。さらに本質的に重大な間違いは、この御言葉は裁きのことが語られている文脈であり、創造の時のことが語られているのではないことである。御言葉の文脈を無視して得手勝手な解釈を施しているに過ぎないことは明らかである。創造の一日は今の一日と同じ二十四時間であることは、創造の記述以外にも聖書の御言葉に明らかである。

 それは【主】が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、【主】は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。(出エジプト記二十章十一節) 

 (二) 言葉「ヨーム」の理解

日本語で[日]、英語で[DAY]と翻訳された原典の言葉、ヘブル語の「ヨーム」を、余りにも特別な言葉と間違って解釈し、惑わされてしまった。しかし、[日]も、[DAY]も幅広い意味に使い分け出来るのは、ヨームと変わりはない。

(三) 生物学的、科学的破綻 

創造の日の一日が、仮に千年だったとしたらどのようなことが起こるだろうか。第三日に植物が創造されて後、昆虫も鳥もいない世界で千年も経過すれば植物は全滅してしまうだろう。植物と動物が相互に助け合って、この地上が無事存続できるように主が設計し、創造なさったのである。

 

[]その他の諸説

 (一) 有神進化論

進化論の主張している通りの順序、過程で世界は出来たが、進化を推進したのは「神」(偶像神)であると考える。

(二) 新・漸進創造論

 創造主が百数十億年をかけて天地宇宙を創造されたと考える。

(三) 啓示日説 

創一章を実質的に否定し、主が著者に創造を示した日と考える。

(四) 文学的枠組み説(神話説)

創世記一章は宗教的真理を解明するためのものであり、言うなら神話と見なす説である。

 

[]再解釈した諸説の根底の思想

hazah_20_5.jpg (一) 聖書と適合するか?

六点について検証し、表にまとめて示す。

(二) 再解釈の諸説の根底の思想

真正面から進化論を主張していなくても、或いは進化論者ではないとさえ言っていても、提案されている諸説は間違いもなく進化論的哲学が根底にある。創造を再解釈する諸説の共通点は、痛み、死、殺害、病気、とげ、困難、苦しみ、絶滅の要素を大なり小なり含んでいることである。創造主は、そのような苦しみ・死・化石が山と積み上がった上に、アダムとエバを創造なさったことになってしまうのである。

 (三)「科学的」という魔法の言葉・爆弾

hazah_20_6.jpg 「進化論は科学であり、四十億年の進化を証明したのであるから、科学と合わない聖書の記述は間違いであり、進化論に適合するように変更しなければならない」という考えが、無意識下にモコモコと働いて、思索の根底にこびり付いて潜んでいるために、聖書の創造を解釈し直さなければならなくなるのである。

 聖書の権威をなし崩しにするための攻撃が一向に衰えず、その攻撃が最も激しいのは創世記に対して、中でも聖書の土台である創造の記述に対してであることを覚えておかなければならない。

 

[]結語

 聖書を真面目に、真正面から見据えて読んで、主に導かれて噛みしめたならば、最も重要なことを示されるのではないだろうか。信仰の中心・肝心かなめである聖書を、被造物である人間が「添削」した時に、寄り掛かっていた柱がなくなる、すなわち信仰は空中分解してしまうことは明々白々である。

 私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。(黙示録二十二章十八、十九節)

 


このシリーズは、マルコーシュ・パブリケーションの発行するキリスト教月刊誌「ハーザー」で2014年2月から連載した内容を転載したものです