22.いのちを創造する前の最後の準備

 神は仰せられた。「光る物が天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のためにあれ。また天の大空で光る物となり、地上を照らせ。」そのようになった。神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ、小さいほうの光る物には夜をつかさどらせた。また星を造られた。神はそれらを天の大空に置き、地上を照らさせ、また昼と夜とをつかさどり、光とやみとを区別するようにされた。神はそれを見て良しとされた。(創世記一章十四~十八節 )

 [序] 地球の準備は完了した

 いのちを支えるために必須である光、水と大気が準備され、地球は海と陸地に二分され、その陸地には食物と大気を整えるための植物が創造されて創造の四日目を迎えた。空中にポッカリと浮かんだ「青い地球」が自転していただろう。地球にいのちを創造する前に、地球が存在するための宇宙環境の仕上げ、整備を行われた。

 [Ⅰ] 創造主が最初におられた

 (一) 全ての秩序を定められた

 もしわたしが昼と夜とに契約を結ばず、天と地との諸法則をわたしが定めなかったのなら、(エレミヤ三十三・25)

 全てのものが存在するための自然法則を創造主が最初に定められなかったなら、宇宙も地球も地上の一切のもの、もちろん人も存在し得なかったのである。全知全能の創造主は、ご自身が定められた自然界の全ての法則、物理法則、物理化学法則、化学法則、生物学法則によって、宇宙の果てから地上の小さな生物に至るまで主が護り、治めておられる。

 しかしながら、宇宙・地球・自然界そして私たちの身の回りに起こる諸現象を、罪人である私たちは逆さまの発想をして眺めていることが多い。すなわち、主より先に存在していた自然法則を用いて主が創造されたという偽りの論理に引っ掛かってしまう。「自然法則を定められたのは主である」と知識では知っているが、全ての法則が先にあったという前提の下に頭脳の思考回路が作動し、論理だった思考回路を辿らず、ことある毎にこの逆さまの考えに立って、どんどん歪んでいくのである。

 主によって一旦ネジが巻かれて時を刻み始めた時計は、以後、規則正しく時を刻み続け、地球は一定の速度で自転し、太陽の周囲の定まった軌道を一定の速度で公転し、一定の時間毎に夕が訪れ、朝が訪れる。地域毎に大きな相違はあるが、季節はそれぞれに規則正しく巡ってくる。主が定められた全法則が主によって統括され、守られ続けているのである。

 然るべき質量と大きさに整えて創造された太陽と地球と月は、相互の位置関係が守られ、太陽系全体が整然と維持されている。太陽と地球と月との質量・大きさ・距離などの相互の関係は、最善に整えられている。太陽風から地球は磁力によって護られており、月の重力によって起こる潮の干満により、地球の海が守られていることなど、驚くべき地球の秩序等の概要を、昨年のハーザー九月号、十月号に短く記述した。

 (二) いのちあるものを創造するために

img_02.png地球に生きるいのち・動物を創造するための最後の準備段階として、主は四日目に宇宙空間を満たす天体の創造に取りかかられた。動物は地上に住むものと水に住むものとが創造されるが、いずれにしても地球に密着して生を営む生き物である。空を飛ぶ鳥は、一見地球を離れて棲息すると錯覚しそうであるが、地球を離れて生きているわけではなく、拠点は地球である。

 地球に生きるものが、どのような関わりを天体と持つのだろうか。確かに太陽の恩恵は今更考えるまでもなく、誰でも知っていることである。しかし、一体どのようなものであり、どのような役割を与えられて創造されたのであろうか? 月はどうであろうか、星はどうであろうか? 

 [Ⅱ]  大きいほうの光る物

img.jpg 創造の第一日目から地上を照らしていた光の方向に新しく創造された「大きい光る物・太陽」が置かれ、地球に光と熱を与える役割を与えられた。太陽に面している方が昼、反対側が夜と区別され、昼と夜を区別する役割を太陽に与えられた。太陽の存在が余りにも大きいので、いつの頃からか、太陽が光そのものであると錯覚するようになっているが、太陽は電球と同様に光源であるに過ぎない。光は電磁波の一種であり、波であり粒子であり、その光を発する光源として、主が適切な場所に太陽を置かれたのである。

 被造物である太陽は大きなエネルギーを地上に注ぎ、地上に存在するものは大きな恩恵に浴している。日が昇ると一日が始まり、日が沈んで暗くなると一日が終わる。主が下さったそのリズムを刻んで人類の生活は営まれてきたのである。そのために、人類は古くから太陽を拝む対象にしてしまい、日本を含めて世界中各国に太陽崇拝がある。

主を知っている民は、太陽を眺めてそれをお造りになった主が今も恵み深く全地を治めておられることを主に感謝し、崇めたのである。

 主は太陽を与えて昼間の光とし(エレミヤ三十一・35)

昼を治める太陽を造られた方に。その恵みはとこしえまで。(詩一三六・8 )

 []小さいほうの光る物

 (一) 桁外れに大きな地球の衛星・月


地球が極めて特殊な存在として創造されたのと同様に、その地球の唯一の衛星・月もまた、非常に特別である。太陽系の他の惑星と比較するのは必ずしも適切ではない一面もあるかも知れないが、しかし、月は他の惑星には例を見ない大きな衛星である。地球とは比較にならない大きな惑星である木星や土星の衛星は相対的には小さい。例えば、木星(体積は地球の約千三百倍、直径は十一倍、質量は三百二十八倍)の衛星、ガニメデ カリストでも実寸は月より少し大きい程度、イオは月と同じ位である。非常に大きなもう一つの惑星である土星(体積は地球の三百十八倍、質量は九十五倍)の衛星タイタンは、月より少し大きい程度である。惑星との相対的な大きさを考えるなら、木星や土星の衛星は月とは比較にならない小さい衛星である。  

図は地球と月を示したもので、地球の裏側に太陽がある時は、月は常に同じ面を地球に向け、太陽の光を同じ明るさで反射して夜の地上を照らすように設計されている。

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  (二) 季節を生じる地球の傾き

 昼はあなたのもの、夜もまたあなたのもの。あなたは月と太陽とを備えられました。あなたは地のすべての境を定め、夏と冬とを造られました(詩七十四・16, 17)。

 地球の自転軸と公転軸には約二十三度のズレがあって地球は傾斜しており、春夏秋冬を生じている (十月号参照)。もし、このズレがもっと大きければ、夏と冬の差がより大きいだろうし、ズレがなければ季節が無くなってしまうだろう。気温が高くなると芽が出たり花が咲いたり、日照時間が長くなると花が咲く植物など、季節が地球の動植物の生育・繁殖などに重要な役割を果たす。このような大きな流れだけではなく、自然の移り変わりも主が定められた通りに運行しているのである。夕焼け、朝焼け、風の向きなどで、雨嵐の予兆を悟るのは野生の動物だけではなく、人も又主が定められた自然の営みを悟ることが出来るのである (マタイ十六・2,3;ルカ十二・54,55)

 (三) 清浄に維持されている海

 【主】はこう仰せられる。主は太陽を与えて昼間の光とし、月と星を定めて夜の光とし、海をかき立てて波を騒がせる方、その名は万軍の【主】。(エレミヤ三十一・35)

img_06.png 月の質量は地球の1.2パーセント、半径は三十七パーセントであり、両者は強い力で引き合っている。この大きな月の強い重力と太陽(より小さい重力)が及ぼす重力の強さが場所により異なるために、地球のまわりの重力場に勾配が生じる二次的な力として潮汐力(起潮力)が引き起こされる。潮の干満によって海に潮流が出来て海水は流れ続けて澱まないので、海岸線及び海全体が清浄に保たれる。海面は上下運動を繰り返して絶えず空気と接触するので、酸素は海水中に均一に溶け込む。

img_05.png このように潮の干満によって、広く深い海に酸素が溶け込み、海に生きている魚はその溶け込んでいる酸素を呼吸して生きている。写真は鳴門の渦潮であるが、このように激しく波立っていれば空気が溶け込み、海水が清浄に保たれているということが一目瞭然よく理解出来るだろう。鳴門海峡は、本州と四国の間の瀬戸内海と太平洋とを結ぶ海峡の一つで、幅が約1.3 キロメートルで、潮汐により大量の海水が一日に二回太平洋から瀬戸内海に流れ込み、逆に一日に二回瀬戸内海から流れ出す。この早い潮流と、海峡両岸に近い穏やかな流れの境目に渦が発生して、大潮の際には渦の直径は最大で三十メートルに達すると言われている。

 これでよく理解出来るように、潮の干満によって海の水に酸素が溶け込み、海が清浄に保たれていることは、生物の生存に不可欠なのである。海に生きている魚にとって酸素は必須であり、また海水が清浄に保たれていなければ生命は生きて行くことが出来ない。海が清浄に保たれることは、実は陸に棲む生きものにとっても、同様に必須のことである。地球表面の七十パーセントを覆う莫大な量の海水が動き続けることにより、大きな自浄作用を発揮して海は清浄に保たれる。そして、海水が空気と接触することにより、空気中の炭酸ガス濃度を調節する干渉作用を大量の海水が果たしているのである。

 凪の時の海を見ると海水が動いているように見えないかも知れないが、どんなに静かな海であっても、本当は片時もじっとしておらず、海は静かに流れて絶えず動いており、こうして海に酸素が溶け込み、また海水が清浄に保たれているのである。

img_07.png 図に示したように、ビーカーに入れた水に、例えば青いインクを器壁に沿って静かに注ぎ入れて後、ビーカーを全く動かさないで静置しておくと、一定の時間後、色素はビーカーに均一に広がり薄い青色の水になる。これは水の分子(HO)は絶えず分子運動(ブラウン運動)をしており、人の目には見えなくても、水に溶け込んでいる色素分子がこの分子運動によって最終的に均一に分布するようになるのである。海は常に動いているが、例え静置した水でも、分子運動は起こっているのである。

次回で、潮汐の仕組みについて、また太陽系について、美しい惑星についてさらに少し記述して、いのちの創造の準備をさらに学ぶことにする。

 []結語

 昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。(詩十九・2)

天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。(マタイ五・45)


このシリーズは、マルコーシュ・パブリケーションの発行するキリスト教月刊誌「ハーザー」で2014年2月から連載した内容を転載したものです