33.土の塵から創られた人

 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。創世記一章二十七節、二章七節、二十一~二十二節(新共同訳)

 [Ⅰ]

主は地球を創り、宇宙を創り、地球に海と陸地を造り、陸地には植物を、そして天には太陽・月・星をしかるべき大きさと位置に据えられた。そして、人類が正しく治めるようにと、海に地上に動物たちを種類にしたがって創造された。こうして最も重要な最後の工程に掛かるための準備万端を終えられた。

 [Ⅱ] 人が土から造られた、だって?

(一) 土の構成成分

 無機物に過ぎない土から、肉があり赤い血の流れる人が創造される訳がない。全く異なった成分であり、考えるさえ無駄なことである、という未信者の声に押し潰されて、クリスチャンが考えることを避けたりしていなければ幸いである。全知全能の創造主の仰せは正しいのである。
それならば、土と人の構成成分をじっくりと見比べて考えてみよう。

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 土を構成する元素は、表に示した元素以外に、カルシウムや、結合するとただの塩であるナトリウム・カリウム・塩素があり、さらに数多くの様々な元素、マグネシウム・鉄・銅・亜鉛・マンガン・セレン・ヨウ素・アルミニウム・ケイ素・モリブデンなどが土の成分として分析されている。

 

(二) 人の構成成分

  地球上の植物も動物も人も、実は「水浸し」で、人は体重の60~70%が水である。この水を除いた固形物の構成成分は、土と同じ炭素・酸素・水素・窒素で90%を占める。そして、土と同じ、マグネシウム・カルシウム・硫黄・リン・ナトリウム・カリウム・塩素が微量成分として9.7%存在しており、これらを合わせると99.5%に達する。それ以外に、鉄・銅・亜鉛・セレン・マンガン・ヨウ素・クロムなど全部合わせても一つまみほど、0.04%にもならないほど超微量であるが存在している。このように人の構成元素の種類は土の成分と酷似している。

 しかし、土を材料として主が人体をお造りになる時に、ただそのまま混ぜ合わせたのではなく、必要な元素をしかるべき比率に減じたり、大幅に濃縮したりして人体に適切な比率に調整して造り上げられた。また、海水の成分と血清の成分とが似ているのは、進化の途中で人は海から上がってきた証拠であると言われることがある。

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しかし、血清中の元素濃度を海水中の元素濃度と比較すると大きく異なる。生体内に存在している微量成分・超微量成分は、環境の濃度とは無関係に生物体内に濃縮されている。非常に存在量の少ないセレンは、血清中でも少ないが人にとって必須の元素であって、海水など自然界での存在率よりは多く、表に示しているように海水の九百倍近い濃度に濃縮されて存在している。リンは海水での存在量の二千倍、鉄は五万倍にも及ぶ。

 逆に、環境に多量に存在していても、生物体内には減量され、必要充分量まで整えられ、制御されて組み込まれている。海水に大量に溶けこんでいるマグネシウムは、血清中にはその百分の一の濃度しか含まれておらず、亜鉛や銅はさらに人体に必要な量にまで減じられて、海水の十万分の二~五という低い濃度である。

 

(三) 微量成分、超微量成分の役割

リン

生物のエネルギー通貨であるATPという特別な化合物の構成元素であり、また、遺伝物質DNA(画像)及びRNAの構成元素でもある。

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鉄及び銅

血液中で酸素を運搬するヘモグロビンの中心に鉄が配位しており、鉄がないとヘモグロビンは機能せず、酸素を全身に運ぶことは出来ない。また、ミトコンドリア(イラストと電顕写真、Wikipedia)の膜構造の中で、酸素が使われエネルギーを産生するために、鉄と銅を持つ酸化酵素やチトクロム系の特別なタンパク質が必須である。

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③カルシウム

リンと共にリン酸カルシウムとして骨を形成している。また、各種の酵素反応を酵素と共に働く補酵素の役割をする。例えば複雑な反応経路を辿る止血反応に、カルシウムは必須である。

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④人体の他の微量成分

硫黄は蛋白質の構成成分であり、亜鉛はインシュリンや各種酵素の補酵素として働き、また亜鉛が不足すると味が分からなくなることはよく知られている。マグネシウムやマンガンは、酵素反応の補酵素として働く。セレンは欠乏量と中毒量の間の適正量の幅が非常に狭いので扱いにくい元素であるが、不足すると貧血、高血圧、関節炎、筋萎縮、多発性硬化症などが発生することが知られている。

 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。(第二コリント四章・7)

 

[Ⅲ] エバは肋骨から造られた

 (一) アダムの仲間

人が、生き物につける名は、みな、それが、その名となった。(創二章・19)

 主は動物たちに名前をつけるという重要な任務をアダムに与えられた。アダムは非常に優秀であったので、動物たちを観察して適正に命名する最初の任務を短時間に遂行することが出来たのである。しかし、外見的な姿・かたちにおいてアダムに似た生き物、ふさわしい助け手は全くいなかった。「創造主のかたち」に造られたアダムは、自分に似た性質を持った仲間が必要だった。

 (二) アダムのあばら骨からエバの創造

 hazah_33_007.png「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」(創二章・18)

  主は二段構えで人を創造なさった。

①地のちりからアダムを創造 (創 2・7,Ⅰコリント15・47)、②人にはふさわしい助け手が見あたらなかった(創2・20b)、③ 「失敗」を修正するために、主はエバを造ることを思いつかれた? ④完全な成人男子・アダムの肋骨からエバを創造 (創 2・21, 22)

エバの創造を語るときに、創造の初めから失敗されたという印象を与えて、主が全知全能であることをさりげなく否定する狡猾な手口に引っかかってはならない。キリストによる罪の贖い、黙示録までの全企画を、創造主は初めから決定しておられたことを忘れてはならない。

 エバはアダムのあばら骨を一本取って作られた。だから男のあばら骨は女より一本少ない筈である? 聖書の記述は文字通り理解してはならない証拠のひとつ? また、死んだ骨から、エバの肉が造れるはずがないので、あれは肋骨ではなく脇の肉だという反論が出たりしている。脇の肉でも構わないが、後述するように骨は生きており、これらの反論が出てくるのは、不信仰あるいは幼稚な科学による迷走である。

 

(三) 骨は生きている

 骨は作り物の模型のような感覚で捉えられるが、実はいきいきと生きている組織である。特に骨膜と骨髄は、体内の他の組織より遙かに活発に活動している組織である。骨の一番活性の高い骨髄を除いた部分、人々が死んでいると誤解している部分を分析した結果を下表に示す。

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 確かに、他の臓器より無機成分は多いが、しかし水分が相当多いことに気がつくだろう。さらに、生理機能を果たすタンパク質が35%も存在しているのである。すなわち、骨全体が代謝回転しており、アダムの肋骨も速やかに再生したことは間違いない。ついでに、骨に貯えられた無機成分であるリン酸カルシウムも代謝回転しており、数ヶ月で完全に新しくなることを付け加えておく。

hazah_33_009.png 右図に示しているように、骨を輪切りにすると真ん中は骨髄で満たされている。骨には神経や血管が通っており、骨の周囲を白い丈夫な組織である骨膜が覆っているが、骨膜の中に細胞分裂を盛んに行う元気な骨芽細胞が多数あり、優れた再生能力を持っている。骨膜は骨端と筋肉や腱の付着部位で骨に密着しているが、他の部位では厚く、骨膜は容易に骨から剥がすことが出来る。骨膜が損傷を受けないで残っていると骨は再生する。

 骨膜のすぐ内側、骨緻密質内層は細かい骨が編み目のように組合わさった海綿質骨で、この海綿質骨と中心の空洞に骨髄がつまっている。骨髄は盛んに細胞分裂し造血作用を行っている血球製造工場であり、毎日二千億個の赤血球が造られている。血が通い、酸素や栄養が送られ、活発な生命反応が行われているのである。

 私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした(詩篇一三九篇15)。

 

[] 相補う重要なパートナー

(一) 骨からの骨、肉からの肉

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 神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」(創一章27、28)

 エバはアダムの遺伝子をそのまま受け取ったので、性染色体を除いて、全く同一の遺伝子を持ち、まさに「一体」だったのである。

 人が最初に必要とするものは他の人との交わりであり、主はアダムの複製を造るのではなく、二人が独立した存在として向き合い、互いに補い合う完全に人格的な調和の中で一つにすることによって満たし、二人を祝福し、二人に「生めよ。ふえよ。」と仰せられたのである。

 (二) 命あるものの母・エバ(命)

アダムは自分の肋骨から主がお造りになった女を「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉」(創二章23a)と呼んで、心からの愛を抱いた。日本語は「男」と「女」という言葉に音声的・言語的なつながりはないが、原語は「イシュ(男)から取られたのでイシャー(女)」だとアダムは言っている。その後、どれ位の期間が経過してから、彼らが主に背いたかは不明であるが、その後、アダムはイシャーにエバ(命)と名を付けた。

 アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。

(創三章20、新共同訳)

 エバは生きるもの全ての「母」となるように定められているという意味である。つまり、エバは私たち、人類の母である。エバはこのような大きな恵みと祝福に浴したのである。そして、カインを「主が授けてくださった」と言ったことから分かるように、主の憐れみによりエバは信仰を取り戻した。

 愛の対象としてご自身の御姿を映して、イシュとイシャーの二つの性が相補うものとして、主は創造なさったのである。エバについて聖書は余り語っていない。アダムは九百三十年生きたが、エバは何歳まで生きたか分からない。しかし、アダムが多くの子をなした、ということによって、エバが大勢の子宝に恵まれたということが分かる。

 いずれにせよ、主においては、男なしに女はなく、女なしに男はありません。それは女が男から出たように、男も女から生まれ、また、すべてのものが神から出ているからです。(第一コリント十一章11、12)