人の寿命 -日本人の死生観-

創世記3章17節~19節

また、神はアダムに仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」

[Ⅰ] 序: 夢幻のごとくに通り過ぎた人生か?

あなたは何歳まで生きているだろうと思いますか? 今から何年くらい、何歳まで生きていたいですか?
 
nihonjin_shiseikan_1.jpg 日本国という概念さえ乏しかった戦国時代に,時代を察知し,世界的視点を持って,日本国の統一を図った三大武将の一人、織田信長が命がけで桶狭間へ出陣した際に、また明智光秀に謀反されて本能寺の変で死ぬ前に、詠って幸若舞(能や歌舞伎の原型といわれ日本最古の舞楽)を舞ったという有名な伝説の一節は次のようなものである。

「人間五十年 下天の内を比ぶれば 夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか」。

 源氏と平家の戦いで有名な「一ノ谷の合戦」において、僅か16歳の美少年、平 敦盛を討ち取らなければならない羽目になってしまった源氏の武将、熊谷直実は、無常を感じ、世をはかなむようになって出家を決意した。それを歌ったのが「幸若舞・敦盛」であるが、作者と制作年は不詳である。

nihonjin_shiseikan_2.jpg 仏教でいう「下天」には四天王が住んでいて、九百万年の寿命を持っていることになっているらしい。「人の世の五十年の歳月は、下天の一日にしかあたらない」という意味で、夢幻のようなものであるというのである。

 人間は生まれても、どうせ必ず死んでしまうので、どんな希望も見えないという日本人の悲観的な死生観が込められている。

 

 

 

[Ⅱ] 寿命に関する聖書の記述

 聖書にも同様に、人生の短いことや、厭世的記述があると指摘する人もいる。
 例えば、創造主に背いた後で、
「あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」(創世記3章19節)と言われたのは、非常に希望のない表現ではないか。

 また、詩篇にも人生の短いことと,厭世観が述べられている、と・・・。
「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。」(詩篇90章10節)

 さらに、ノアの洪水のときには,次の聖句を(創世記6章3節)、人生は百二十年と定められたと解釈する人もいる。この箇所のヘブル語は難解なようで、翻訳では曖昧な表現になっていたり、明確に寿命となっていたり、そして預言から洪水までの年数であるという翻訳まで様々である。

「それで人の齢は、百二十年にしよう」と仰せられた。【新改訳】

「彼の年は百二十年であろう」。【口語訳】

「こうして、人の一生は百二十年となった。」【新共同訳】

「人の日数は百二十年にすぎない」と言われた。【フランシスコ会訳】 

 これについては次のような注釈が付いている。
「一般人類の生命の息は百二十年後の洪水によって断たれるであろうという神の宣告。義人までも罪を犯すようになり、人間はまったく肉的になった。そしてもはや神に似たものではなくなり、神から与えられた生命を持つにふさわしくなくなった。以上の解釈はギリシャ語訳、ラテン語訳、シリヤ語訳に一致するものである。」

 英語訳に関しても,当然のことながら事情は同様である。

"yet his days shall be one hundred and twenty years." 【NKJV】

"From now on they will live no longer than 120 years." 【TEV】

"his days will be a hundred and twenty years." 【NIV】

 この箇所に関してティンデル聖書注解、デレク・キドナー著では,次のように説明している。

「『百二十年』は洪水までの間の小休止(ペテロへの手紙第一3章20節)のことかも知れないし,今後予想されるべき短くなった人の平均寿命のことかも知れない。どちらの意味にとっても、この後に続く創世記の物語と調和する。」

ペテロの手紙第一 3章20節
昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊たちのことです。わずか八人の人々が、この箱舟の中で、水を通って救われたのです。

 この百二十年がどちらの意味であるとしても、人のいのち、人の寿命に関する聖書全体の基本的立脚点は、無常でも、失望でもなく、希望である。
 チリだからチリに戻らなければならない現実が生じたのは、わざわざ述べるまでもなく人の罪のゆえであり、それに対する究極的贖いが見事に用意されている。


[Ⅲ] 寿命の変遷の記録

 信長による逸話から有名になった「幸若舞」によって、当時人生は五十年前後であったとよく言われるようであるが、調べてみると必ずしも寿命は五十年くらいではなかったようである。確かに信長は48歳で自害して果てたが、戦国時代や、その後も戦争状態のときは、戦死以外にも様々な理由で病死など、自然な死以外に死亡することも多く、そういう社会情勢下では平均寿命は当然下がる。

 そのような死亡例は除外して、十五世紀以降、一応病死した人々の寿命を調べてみた。手軽に手に入る情報だけを拾い上げたので統計的な調査ではないが、長寿だったのは鎌倉幕府の初代執政・北条時政で、1138年に生まれ76歳まで生きた。また三本の矢の譬えを話して兄弟の結束の重要性を説いたという伝説のある毛利元就は、1497年生まれで74歳まで生きた。ちなみに、この教えの原典は聖書である。

「もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。
三つ撚りの糸は簡単には切れない。」(伝道者の書4章12節)

 そして、健康を気遣い、薬に詳しかった徳川家康は75歳まで、現在の男性の平均寿命に近い年数を彼らは生きたことになる。

 また、五十年前後しか生きなかったのは、鎌倉幕府を開いた源頼朝51歳、有能な武将であったのに短命であったために天下を臨めなかった甲斐の武田信玄52歳、敵である武田信玄に塩を送ったという逸話のある上杉謙信49歳などである。長寿だった家康の子、二代将軍・徳川秀忠とその妻,お江(お江与、崇nihonjin_shiseikan_3.jpg源院)(大河ドラマで有名になったが、豊臣秀吉の側室、淀君の姉である)は共に短命で52歳、そして江戸時代中期の俳人、松尾芭蕉は臈長けて、人生の極みを見た人のように思われているのに、僅か50歳で病死しているのは意外な気がするのは私だけだろうか。

 その他に室町幕府最後の将軍・足利義昭や、豊臣秀吉、加賀百万石の初代・前田利家、内助の功で有名な千代の夫・山内一豊はいずれも59-60歳、三代将軍・徳川家光55歳など、乱雑な思いつきのデーターに過ぎないが、恵まれた環境で生きたこれらの人々、またその他の人々も加えて40名の人々の平均寿命を計算すると60.6歳で、50歳をはるかに越えて長生きをしている。これらの人々の寿命と人名と一応誕生年の順を追ってグラフに描いてみた。もとより詳細なデーターではないが、この間1,000年間にわたって、寿命が長くなったとか、短くなったとかという一定の方向へ変化した傾向は見受けられない。

 もっとも、全人口の平均寿命の統計は,死亡率の高い乳幼児(一息でも肺呼吸をしたら、つまり、オギャアと一声泣けば生まれたと考えられる)のデーターも含められていたこと、また、寿命が相当短かったと考えられる人々、すなわち身分制度で虐げられて経済的に貧困な層、乳幼児だけではなく、体力のない子どもたち、老人たち、ひ弱な体質の人々のデーターも当然含まれるので、平均的には,ここに上げた恵まれた人々のデーターとは大幅に異なる可能性がある。ただ、人生五十年という半ば絶望的な哀感は、必ずしも正しくはないようである。

[Ⅳ] 第二次世界大戦後の日本人の寿命の推移

nihonjin_shiseikan_4.jpg 時代が下がって第二次大戦の影響が一応消えた二十世紀半ば、1955年には男性の平均寿命は64歳で、九世紀から十九世紀末までの約千年間に及ぶ平均寿命よりやや低いが、しかし非常に大きい差は見られない。しかし、それから僅か50年の間に人の寿命は著しく上昇して、2005年には、男性78.5歳、女性85.5歳となっている。

 平均寿命の解析をするのが本稿の目的ではないので、詳細には触れないが、この上昇の原因について大勢の人々が分析しており、社会の福祉・医療の進歩により乳幼児の死亡率が著しく低下したことに大きな要因があると考えている人々は多い。昔は,正常に生まれることが相当困難であった上に、一応正常に生まれてきた例でさえ、乳幼児期を無事に生き延びる比率は非常に低かった。二十世紀半ばからは、安全に出産できる比率が高くなり、乳幼児期の死亡率も低くなった。

 また、明治大正生まれの人々の強さ・・肉体的強さを精神力が底支えしているかの如く見える・・が,現在の平均寿命の高さに反映しているのかも知れない。しかし、一方では、地球がボロボロになっていることに伴い、生活環境が劣化し生物に大きな影響を及ぼし、生命力の低下に結びついているようである。そのような各種の要因を考えると、今後、寿命は下り坂になるかもしれないという見方も出ているようである。

[Ⅴ]  世界の平均寿命

 日本人の寿命を眺めてきたので、世界の状況についてもざっと見てみたい。
下図世界地図は、2008年の各国の平均寿命で色分けして示したものである。

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 世界情勢にそんなに詳しくはなくても、平均寿命とその国の政治情勢や経済状況との関連を、この地図を眺めて思い起こすことが出来るだろう。平均寿命が80歳を超える地域をはじめとして、青色系統の色の地域は、寿命の長い、恵まれた地域である。一方、橙色から赤系統の色で塗られている地域では、その人生は日本人の半分である。

 生きている時間が長いということが必ずしも幸せであるとは限らない。健康な寿命とか、QOL(生活の質、Quality Of Life)が論議され始めて、延命治療の行き過ぎのために、数多くのチューブに繋がれて、ただ生命を長らえることに意義を認めなくなり始めているのは事実である。

 しかしながら、一方で政情不安なため殺傷される人々の数が無視できないほど多い地域、あるいは飢えに苦しむ地域、伝染病その他で苦しむ地域の人々は、その短い命が危険に曝されて幸せとはほど遠い状況にあることは、まさしく人間の尊厳が大きく損なわれている地域である。

 nihonjin_shiseikan_5.jpg  nihonjin_shiseikan_6.jpg

 2008年の各国の平均寿命のデーターが開示されていたのは196ヶ国であるが、そのうち、日本人に馴染みの深い国、あるいは多少とも関心を持つ人が多いだろうと思われる国々を抽出して下の表にまとめた。全部を見たい方は、「国の平均寿命順リスト」(Wikipedia)を開いて見られたい。

 平均寿命のデーターをどのように理解するかは難しい側面もあるが、日本のように外国との戦争も、また国内での内戦もない国と、近隣諸国と戦争をしており、内戦がある国、また飢えに苦しんでいる国とでは理解は非常に異なってくる。乳幼児、子ども、若者の命がまるで虫けらのように扱われて、次々と殺される国では、平均寿命は統計的に著しく下がってくる。平均寿命が40歳代である国で、人々の生命力が弱いとか、老人がいないということを必ずしも意味してはいないことも知っておかなければならない。

[Ⅵ] 悲しみの死生観 

 避けられない死に直面した決定的な瞬間に、無常観に満ち満ちた詩を信長が実際に詠ったのか詠わなかったのかは、さして重要ではなく、このような伝説が日本人の心に訴える力を持っていることが重要なのである。寿命が六十歳であっても、八十歳であっても、信長が死を目前にして人生を哀愁や悲しさと、そして諦観とも受け取れる心で詠いつつ舞ったとされるのは、日本人の伝統的な死生観に合致するのかもしれない。

 日本文化では、古くは侘び・さびがもてはやされ、戦後は哀愁を帯びた歌が声高く歌われてきた。日本の歌謡曲は、涙、別れ、悲しさ、寂しさ、心の痛みなど、人生を否定的に捉える歌が圧倒的に多いようである。歌詞はもちろんのことながら旋律も悲しいものが多い。昔、アメリカで日本の歌を聴いた人が「悲しい歌だ」と感想を述べたのを聞いて、驚いたことがある。それがことさら悲しい歌でも、また短調の歌でもなかったので、私自身にはそれまで全くそのような認識はなかったのである。その感想を聞いてから、改めてその歌を噛みしめてみて、なるほど「日本の歌は悲しい」と、驚くべき発見をすることになった。

 母国を離れてみて、慣れ親しんだ日本の歌の特徴を、いや日本人の哀愁に閉ざされた死生観を初めて客観的に観察することが出来るようになったのかも知れない。営々と築かれてきた日本文化は、優雅で、悲しみを湛え、やさしく、静かであるが、その心の奥底に潜む激しい情熱は、表に現れる情熱よりはむしろ強烈に内側で燃えているように思う。このような静かな情熱は、欧米人には、到底、理解出来ないものかもしれない。そして私自身,アメリカで生活した時に初めて、自分の中のこのような日本人らしさを発見し、余り日本人らしくないと自分自身を思っていたのは大きな間違いであることに気がついたのである。島崎藤村の「情熱をして静かに燃えしめよ。」という言葉を私が好きな理由も何となく理解した気がしたのである。

 第二次世界大戦後、特に、この三~四十年、日本は大きな変貌を遂げた。政治・経済・人々の生活・環境・文化の激変は人々の心を大幅に揺すぶったのは確かである。表面だけを見ていると、日本人は良さも、悪さも拭い捨てて、一見、違う人々になってしまった感さえある。しかし、表面に見える姿形、見かけ上の行動が如何に変わっても、日本人の心の奥底はそんなに変わってはいないと感動したのは、2011年の東北地方を襲った地震、津波、そして原子力発電所の凄まじい人災の後のことである。

 実を言うと、何があろうと決して倒れない日本人の不屈の力、底力を私は信じてはいた。日本の近代史がそのことを示している。内乱に至らない平和的な明治維新が成し遂げられ、西欧諸国の文明に追いつけ,追い越せと全力投球し、第二次大戦に自国を巻き込み、日本全土が焦土と化し、そして見事に立ち直って世界中を驚かせた。様々な災害、事故、事件が次々と起こるために、遠方の人々には記憶が薄らいでいくが、6,500名近い犠牲者を出した淡路阪神大震災さえ乗り越えてしまったエネルギーが、日本人全体のお腹の底から滲み出てきた。

 東北地方を襲ったあの大津波と原発事故ですべてが崩壊し、立ち上がる気力も体力も根こそぎ抜き取られても不思議はない、東京電力に対する恨み・憎しみの塊になっても不思議はない、かの地に争いや暴動が起こってもおかしくはない。アメリカやその他多くの国々では、あのような事態が起こると町中が暴徒と化して収拾が付かなくなるという。しかし、被災地で繰り広げられた光景は,それとは異なって実に整然として秩序正しい人々の姿であった。この苦難から立ち上がろうとする驚くべきエネルギー、静かな底力、大きな情熱に支えられて堪え忍び、助け合う姿があちらこちらで見られたのであった。

 第二次大戦の敗戦後、暴動を予期していた占領軍が驚いたことには、静かに占領軍を受け容れた日本人のエネルギー、忍耐心は,決して無力な諦めから出てきたのではなく、心の奥底に潜む静かな情熱であったことである。その同じ姿が,昨年の震災後の人々の中にあって,諸外国の人々を驚かせ,尊敬の眼で見つめられたのである。かの地に見られた人々の愛の行動、そして、それ以上に驚かされたのは、被災者の人々の整然とした秩序ある行動、逞しい姿、内側に秘められた静かなエネルギー・情熱が失われておらず、日本人の中に確固たる位置を占めて厳然と存続していたことである。様々な感情を派手に発散させることはなく、堪え忍ぶ強さを内に秘めた日本人は、悲しみがじっと内側にこびり付き、底に沈殿するのである。

 悲しむなと言われても悲しいときは悲しく、喜べと言われても喜べないときは喜べないのが人間である。日本人のほとんどの人の宗教は、いのちや人生の否定が土台にあり、頑張って、極限まで身を打ち叩いて修行しても「極楽浄土」や「天国」に行ける保証を与え得ない、そのような宗教である。まして普通の煩悩の身には、地獄に行くしか道が開けていないとしたら、そのような宗教を持ってしまうと、生を受けたことを呪わないまでも、いのちを喜べないのではないかと思ってしまう。人生は悲しく、涙に包まれて、それでもただじっと堪え忍んで、頑張って生きるしかないとしたら、「夢幻のごとくなり」と哀愁が心を占領するのもよくわかる。

 クリスチャンになって何ヶ月も経っていない頃、テサロニケ人への手紙第一 5章16節「いつも喜んでいなさい。」と「命令形」で書かれていることを発見して非常に戸惑った。生まれたてのクリスチャンには、これは理解に苦しむ御言葉であって、「喜ぶ」という行為は決して努力して出来ることではないからである。苦難の中にある人は、苦しみ悲しんでいるはずであって、主のご命令であるから従おうと、どんなに頑張って力んでみても,所詮は人間である自身の心を思いのままに操れるわけはないのである。真面目な人間であれば必死になって努力をして、自分の意志を励ますかも知れないが、人間には不可能なことであり、頑張れば頑張るほど、ますます喜びは遠ざかってしまうのである。

 真理を知らないので将来に光が見えるはずもない日本人の人生観・死生観は、結局のところ悲しいものでしかあり得ない。人間は本来、無限のいのちを喜んで感謝して生きるように造られたのであるにもかかわらず、創造主から断絶された人間は、「喜んでいなさい」との命令が全く理解出来ず、どんな努力をしようとも出来るはずのない的外れになってしまったのである。

 しかし、人生が三十年という短いものであろうが、五十年であろうが、百年の長寿を与えられているとしてもそんなこととは関係なく、悲しまないで、喜々として生きることが出来る奥義があるのである。「いつも喜んでいなさい。」という主からの嬉しい命令を,すんなりと受け容れることが出来るようになるのである。

[Ⅶ] 結語  ** 喜んで生きる **

 聖書には,喜んで生きる奥義が明確に書かれている。しかしながら、その御言葉を人間の的外れで読むと,どんなに頭がよかろうとも、どんなに繰り返し、繰り返し読もうとも、心の通わない「文字」を上の空で追っかけているに過ぎない。その真意は、決して霊魂には届かない。
 
ヨハネの福音書 3章3節
イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。
人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

 いつも喜んで生きることが出来る極意は、新しく生まれることなのである。
イエス様に教えを受けるために訪ねてきたユダヤ人の指導者ニコデモは,このイエス・キリストの教えを全く理解出来なかったので、トンチンカンな応答をした。

マタイの福音書 5章11、12節
わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。

事実パウロは、「患難さえも喜んでいます。」(ローマ書5:3)と言ったのである。

テサロニケ人への手紙第一 5章16-18節
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

ペテロの手紙第一 4章13節
むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びおどる者となるためです。

あなたは今後何年、この世のいのちを喜んで生きてから、喜び踊って天国に凱旋したいですか?