「夕となり朝となった」ということは、終わりが「夕」ということでしょうか?

太陽が4日目に出来たのなら、第1~3日目までの「夕、朝」は今日の「夕、朝」とは違うはずです。「夕があり、朝があった」と書かれているから、1日は24時間だと断定することができるのですか?

ヘブル的1日の設定法に従って、「夕があり、朝があった」と書かれているようです。地球がすでに自転しており、後に太陽が置かれることに定められていた方角から光が射していたと考えられます。太陽が出来るまでの第3日目までは、それ以後の地球の一日の定義に則って、時が刻まれ、聖書に記述されたのであるというのが、大勢の方々の一致した理解であるようです。したがって、これだけで1日は24時間であると断定することが出来ると考えられます。

しかし、これ以外にも1日は24時間であるとする根拠はあります。出エジプト記に、「主が六日のうちに天地万物を造られ七日目に休まれたように、イスラエルの民に対して、六日間働いて七日目を主の安息日として覚え、聖なる日とせよ」と、主ご自身がご自分の創造のみわざを根拠に、安息日についてモーセに命じておられます。このことは創造の一日が、24時間の一日と考える重要な根拠になります。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、【主】の安息である。それは【主】が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、【主】は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。(出エジプト20章8節-11節)