3.アダムが星を見たのは、創造されてからどれくらいの時間が経ってからでしょうか?数億光年の遠くにある星を現在観測できているのは、宇宙の年齢は数億年以上ということ?

神が天体、太陽、月、星を創造なさったときのことが、創世記に記録されている。

1:16 神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ、小さいほうの光る物には夜をつかさどらせた。また星を造られた。
1:17 神はそれらを天の大空に置き、地上を照らさせ、
1:18 また昼と夜とをつかさどり、光とやみとを区別するようにされた。神はそれを見て良しとされた。

そして、月と星は夜を司る役目を与えられたと、より明確に詩篇やエレミヤ書に記されている。

詩 136:9 夜を治める月と星を造られた方に。その恵みはとこしえまで。

エレ 31:35 【主】はこう仰せられる。主は太陽を与えて昼間の光とし、月と星を定めて夜の光とし、海をかき立てて波を騒がせる方、その名は万軍の【主】。

天体の創造は4日目に、アダムとエバの創造は6日目である。地球は創造の1日目から自転を開始しており、工程ごとに完成した作品として創造の全工程が進行している。工程ごとに完璧に出来上がったことを確認して、「善し」と評価しておられるのである。1日目には「夕があり、朝があった。第一日」と、自転が始まっていることも確認済みである。3日目には、成熟した植物を地に置かれたことが、次のように記載されている。

1:11 神は仰せられた。「地が植物、すなわち種を生じる草やその中に種がある実を結ぶ果樹を、種類にしたがって、地の上に芽ばえさせよ。」そのようになった。
1:12 地は植物、すなわち種を生じる草を、種類にしたがって、またその中に種がある実を結ぶ木を、種類にしたがって生じさせた。神はそれを見て良しとされた。

したがって、宇宙という視点からは、太陽は地球に近いので、太陽が置かれた位置から発せられた光が地上に届くまでに、約8分かかるとされているが、太陽が創造されたその時点においては、その瞬間にその光と熱は地上に届いていたはずである。遠くの星に関しても、同様であり、完全に完成品として神は天体を創造されたのであり、星の光は4日目にすでに地球に届いていたのである。

さて、ここで人類の学問である物理学、天文学について多少触れておく。
「光は、真空中で直進し、そのときの速度は1秒間に30万km (地球を7回り半回る)である」
これは、物理法則として広く教えられている。
しかし、どこまで本当で、信じてもいい数字だろうか?

この実験をするために、物理学者はこの地球上で、すなわち地球の重力場において
「限りなく真空に近い状態を造った」
「その人工的な、真空に近い直線距離は、数キロメートルだっただろうか?」 
そんな長い距離を仮に用意できたとしても、たった数キロメートルであり、広大な宇宙という空間からすると、数センチメートルと変わりはないだろう。

「光は秒速30万kmで直進する」というこの仮定が宇宙で成立する保証はない。

1光年というのは、紛らわしい言葉で、しばしば時間の単位と誤解されるが、時間ではなく距離の単位である。ちなみに、この単位は専門家には使われなくなっているが、一般にはあまりにも馴染みが深いので使われ続けている。1光年とは、この速度で光が宇宙で移動すると仮定して、光が1年間掛かって到達できる「距離」であると、計算上定められている。すなわち、1光年は、地球円周(4万km)の2億5千万倍である。

ところが、研究が進むにしたがって、この分野の専門外の人には理解できない様々な観察結果、研究結果、理論が展開している。空間にはひずみがあるとモデルが提唱され、無限の距離から僅か2,3年で光が地球に到達するという、光の運動に関する相対論が展開しているようである。

仮に、人間の科学だけを主張するとしても、無数の遠い星の光をアダムは、創造されて2~3年のうちに見たことは間違いないだろう。

星の光が地球に届いている事実と、宇宙の年齢との間には関係がないということは明らかである。