4.聖書には900 年以上生きた人々のことが記述されているが、そんなに老化した化石は発見されていない。だから、聖書に書かれている人物の年齢は本当ではない? 900年の人生を満喫したほどの大きな祝福を受けたという比喩ではないか?

1)科学的な考察
発掘されている「化石の年代」は、その推測値の正誤にかかわらず、その動物や人がいつ頃生きていたかという指標である。したがって、その特定の化石が、化石化したときのその動物の年齢とは全く関係のない数字であることをまず、理解しておく必要がある。

  人間も動物も、生きている歳月にしたがって老化し、骨も例外ではないことはよく知られている。白骨化した骨も、化石も骨の相互の縫合の様子、骨の中身など、年齢を示唆する情報は得られることは事実であり、化石であっても漠然とは判定できる。

  人の化石に関して、どれくらいの研究がされており、どれくらい判明しているかについて、実は明らかにされていない。人の化石は、専門家でさえ実物を手にして研究できないのはもとよりのこと、近づくことさえ出来ないという、訳の分からないことが研究者の書物に書かれていた(「人類の起源」M.L.ルベナウ著、宇佐神 実訳)。

  ただ、仮に本物の化石を手にすることが出来ても、その化石の死亡時の年齢に関する情報は、若者か、中年か、老年か、位のおよその見当がつく程度であろう。
  重要なことは、その年齢の判別はどこまでも今の人類の老化速度から割り出す数字であって、例えば40歳はほぼ寿命の半分道を生きたくらい老化しており、80歳以上はほぼ死に近づいた年齢、相当くたびれた化石である。つまり、人類は、100歳以上の年齢については全く無知なのである。

  950年生きたノアには、500歳の頃に息子3人が生まれている。500歳から600歳に至るまで、箱船造りの指揮を執り、宣教をした。600歳から1年余、箱船の中で総指揮官として、家族を見守り、動物たちを管理し、洪水を乗り切った。これは、力衰えた老人のなせる業ではない。当然のこととして、600歳のノアは、壮年の若さ、知力、判断力などを持っていたと考えられる。

現代の年齢に換算すれば、恐らくは40歳代の働き盛りの年齢に相当するのであろう。すなわち、1000年近い歳月を生きた人々は、その老化速度は極めて緩やかであったと推測されるのである。したがって、仮に、ノアと同じくらいの年数、約950年を生きた人の化石が発掘されており、その化石の生前の年齢が仮に推測出来るとしても、それは約7~90歳という結果が得られるだけであろう。

2)聖書に基づく考察
  聖書には、すべて完璧に創造したと、創造者自らの手で記録されている。地球を用意し、人が地上でいのちを楽しむために、すべての準備を整えてくださった。何もかも、完璧であり、「善悪の知識の木の実を食べてはいけない。それを食べたら死ぬ」と、主に従って生きることの中に幸せがあることを教えられた。したがって、主の護りの中に生きている限り、不老不死に造られたのである。

もし、創造後のいつであったのか、あのときに背きさえしなければ、彼らは今も元気いっぱいで、人生を享受していたはずのそういういのちであった。次々と子孫が生まれ、アダムやエバは6000歳、ノアは5000歳、アブラハムは4000歳、モーセは3500歳、ダビデは3000歳という人々が、長い歳月を仲良く共に過ごした、実に和やかで、素晴らしい地球であったことだろう。そして、今の私たちには信じられない高齢の人々は、いずれもはつらつとした青年あるいは壮年の頼もしい男性たちだっただろう。もっとも、ノアは洪水を乗り切る苦労もなかっただろうし、モーセは出エジプトの苦難も体験しなかったはずである。そもそも、ヨセフはエジプトに兄たちに売られてエジプトに行くことなどなかったはずであり、ヤコブも飢饉のためにエジプトへ逃れていくことなどなかっただろう。したがってモーセは、エジプトではなくカナンで生まれたかも知れない。

しかし、人類史はそのようには推移しなかった。聖書は全能の主の目から地球を、その上に営むいのちをご覧になって、愛する人々のために書き記された創造主の著書である。それが間違っていたり、書いてあるとおりでなかったりということはあり得ないのである。900歳と書いてあれば900歳であり、比喩であると人間が勝手に変えてはならない。全知全能の方、人間を創造してくださった方の書籍であり、その方の著作を被造物であり、罪人である人間が、これは正しい、これは間違っていると批判し、添削することなど出来るはずがないのである。

このように罪まみれの人のために、イエス・キリストを地上に使わし、十字架にかけて、人が創造主の元に戻る手はずを整えてくださったのである。そして、将来のことまですべて記されている書物がキリスト信仰の土台なのである。人が手を加えることは絶対に許されない、聖なる書物である。