STAP細胞への道

 僅か1年半前、ノーベル賞受賞に 日本中が沸き立った。それは、ノーベル賞という学問的な意味以上に、人々が臨床応用を期待したからである。人間の痛んだ臓器を、まるで機械のように、今にも部品交換できるかの如き期待が膨らんだのである。 

ES細胞からクローン羊ドリーまで

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 ともあれ、この大きな業績に日本中が大喝采し、山中教授は人々の期待に応えて、一般の人々を対象に何度も講演会を開催して人々に情報公開をし、啓蒙を図られた。通常、学者の講演会はその特別な分野の専門家しか理解出来ない難解な講演会であり、一般の人々はもとより、科学者でも専門外の学者は参加しないものであるけれども、こと iPS細胞に関する講演会では、一般の人々、そして臨床応用をひたすら待っている人々が大勢参加していた。

『いのちをつくる~iPS細胞・ES細胞がかなえる未来~』

stap_2.jpg ES細胞の発見や、ドリー羊の誕生で代表されるクローン動物の作成などにより、人類にはいのちを操作できるという考えがどんどん表面に出て来て、「いのちをつくる」というようなとんでもないタイトルでiPS細胞の講演会が行われた。この iPS細胞に対するノーベル賞は上記のように臨床応用への期待があるので、他のノーベル賞とは異なり人々の関心は消えるどころか、高まり続けている。 

臓器移植・・・人間を修繕? 

 創造主を信じているかどうかは関係なく、他の学問分野と同様に生物学も創造主が造られた生物に大きな関心と興味を抱いて、素直に観察し生命現象を学ぶ学問であった。それが二十世紀後半に入り、遺伝子の研究、特にDNAの構造解析が進んで遺伝学が分子レベルで解明されるようになった。こうして、生物学は生命現象を学ぶという姿勢から、生命に対する挑戦へと方向転換をすることになった。講演タイトルで代表されるように、人間の手で生命を操作し、命を造り出すことが出来ると考えるようになった。漫画に描いたように故障した機械やロボットの部品を簡単に取り替えることが出来るように、人間の臓器もあたかもロボットの部品のように、故障すれば部品である臓器と手術用のメスと糸と針で取り替えて修繕するのだという思想が先進国ではどんどん広がってきた。

 臓器移植の技術が大きく進歩し、成功率もある程度は上がってきたのは確かである。しかし、「臓器移植でなければ助からない」という言葉が宣伝され、臓器移植をすればあたかも百パーセント助かるかの如き嘘の情報が社会に蔓延し、人々は踊らされている。しかし、臓器移植をしても助かるとは限らない。臓器移植をして一体何パーセント助かるか、臓器移植をしないでそれ以外の医療を続けた場合とどれ位違うのか、本当のことを知らされないままに、臓器移植によって命が助かるという宣伝が社会に充満し、すっかり信じ込んでいるが、本当に助かるという保証は決してないのである。さらに、臓器移植を受ける患者の側、そして医学的・生物学的側面からだけ考えても、脳死者から移植用の臓器をなかなか入手できないという問題もある。臓器移植を受けたい人々や、推進しようとする医療関係者や官僚たちが如何に一生懸命に頑張っても、「需要」と「供給」の間の大きな溝は埋められそうもないと人々は気が付き始めている。臓器移植については項を改めて紹介するが、すでに方々で講演した録画を公開しているのでそれを参照して下さい。

臓器の作成に挑戦し始めた人類

stap_3.jpg 人間の臓器・・・それが、脳死者・心臓死からの臓器であれ、あるいは生体肝や、生体腎であれ・・・の供給が著しく増加する希望は持てそうもない現実がある。そんな中で、初期化して多機能性を回復したES細胞は、臓器移植に替わりうる大きな希望を人類に与えた。人間から臓器を取り出すよりは、簡単に作れるものならその方が良いに決まっている。そう思った人類は、こうして初期化した細胞から人間の各種組織、例えば心臓や肺臓の組織を作り出してその組織、言うなら組織の「芽、あるいは卵」を患者の体に移植し、患者の中で成長を促す移植に大きな期待がかけられた。しかし、多機能性ES細胞は受精卵から作成するために、大きな倫理的問題から逃れることが出来ない。ES細胞については別の項で説明する。

 ES細胞の研究が進展する中で、世界中が驚いたのはiPS細胞の発見stap_4.jpgである。iPS細胞はES細胞のような受精卵が抱えていた重大な問題(すなわちそのまま分化すると人になる細胞)から脱却することが出来た。iPS細胞は体細胞に特別な遺伝子(山中因子と名付けられた)を導入して初期化(多機能性の回復)して、様々な組織に分化成長させることが出来るのである。そして、その後、世界中の研究室で盛んに研究が進展し、臨床実験も始まっている。iPS細胞についてはブログに簡単に紹介している。

 一旦分化した細胞が多機能性を回復するという「生物学の非常識」がもはや非常識でなくなったのである。こうして生物学の常識は180度転換して、「分化した細胞は特別な操作をすることによって多機能性を回復しうる」という事実を生物学者たちは受容したのである。ただ、この操作というのは非常に特別で、細胞を活性化する能力を持っている「遺伝子」を細胞の中へ導入する、つまり細胞の中で遺伝子を働かせるという操作なのである。したがって、細胞が多機能性を回復したという発見は、生物学の常識で納得しやすい方法であった。

iPS細胞からSTAP細胞

stap_5.jpg ところが、STAP細胞というのは、細胞の中にそのような特別な物質を入れるのではなく、細胞膜に物理的な刺激を加えるだけで細胞が若返るという、青天霹靂(へきれき)の出来事であった。最初の刺激は細い管を無理矢理通らせたという正真正銘の物理的な刺激であり、この全く次元の異なる発見に日本中が、世界中がびっくり仰天することになったのである。「若いマウスからリンパ細胞を採取し、弱酸処理をしてちょっと刺激を与えると、マウスの細胞は初期化されて万能細胞になる」ということである。この細胞は、「Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency」(刺激に惹き起こされて獲得された多能性細胞、STAP細胞)と名付けられた。                     

 これは生物学者にとっては理解の範囲を超えた方法であり、そんなことを真面目に言うなんて気でも狂ったのではないかと思われるような結果なのである。事実、ある学術誌に論文を投稿したところ、論文の審査員から次のようなコメント・・・というよりは、無名の研究者であると知っての激しい叱責と言うべきだろうか?・・・が付いて戻ってきたという。

 「過去数百年に及ぶ細胞生物学の歴史を、あなたは愚弄するのか?」

 その学術誌とは、かの有名な権威ある学術誌「Nature」である。「Nature」はその名の通り、自然科学の広範囲の分野の学術論文を掲載する超一流の科学雑誌である。その雑誌の審査員からこのような酷評をされたら、どんなに辛かっただろう。実際、彼女は「誰も信じてくれないので、やめてやろうと思ったことも、泣き明かした夜も数え切れない。今日1日だけは頑張ろう、明日1日だけは頑張ろうと思って続けて来た」と言っている。

 ある生物学者は、「生物学の常識外れ。あり得ないことを見てしまったという感じです」と言っており、筆者も全く同じ思いである。それくらい生物学の常識では理解出来ない発見であったのであり、生物学者の筆者は科学の発展の速さと、その進み行く道におののきさえ覚える。昔、筆者が現役の研究者であった頃には想像も出来なかった医学・生物学の歩みを、今見せられているという思いをした。

stap_6.jpg さて、それ以後STAP細胞がどのような歩みをするだろうかと、筆者は生物学者として非常に期待していた。
① STAP細胞の実験を世界中が行う。
② リンパ細胞だけではなく、体細胞で同様のことが起こる。
③ STAP細胞から、iPS細胞同様、多機能性を発揮して、各種の細胞に分化することが確認される。
④ ヒトの細胞でも同様に、STAP細胞が生成される。
⑤ iPS細胞で学んだことを、さらに発展させてSTAP細胞の特性を生かして、真に発展するべき道を見出していく。

 2014年1月、世界中はSTAP細胞を褒めそやし、近い将来、ノーベル賞だと呼び声も高く、研究費が積まれた。理研の内部の動きがどうであったかは分からないが、少なくともマスコミ報道は過熱し、常軌を逸している状況が、ホンの暫く続いたが、2週間ほどで地に落ちた。

 2014年3月末、急転直下、STAP細胞は満身創痍、もう存在し得ないものとして扱われかけているようである。1年ほど掛けて追試を行うと言われているが、誰かが真剣に実験するのだろうか。1年後、どのようになるかは誰にも分からない。世界中が、一人の若い女性研究者を潰しに掛かっており、論文の共同研究者たち・・・実に十名以上の大勢の名前が連ねられているのだが・・・彼らの一部の人々は、彼女一人が悪いことをしたとマスコミの前で発言した。そして、多くの共同研究者たちは、彼女は研究者としてあるまじき行動をしたと彼女について数々の悪口をマスコミに暴露したが、匿名にするという卑怯な条件付きである。かくて、よく理解しないマスコミの人々はもとよりのこと、専門家たちも一致協力してSTAP細胞を潰そうとしているように見える。

 ES細胞、iPS細胞、そしてSTAP細胞、いずれも根底に横たわる「期待」あるいは「思想」は大同小異であるようである。最初に書いたように、このような先端技術を用いて、人間を臓器の寄せ集めにしても生きていけるかの如き思想が、世界に充満し始めていることに憂慮を覚える。人間を動物の延長として考える思想からまず抜け出して、人間の尊厳をしっかりと身に付けて、このような目まぐるしい変化に正しく対応できるように、人間が本当に成長する日が一日も早く来ますようにと祈る。