宗教と科学は仲睦まじい関係だった

神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。(ローマ人への手紙1章20節)

 [Ⅰ]

 現在、自然を学ぶ学問は「自然科学」と言われ、事実を対象とする実験によって検証できる『理系』の学問だと理解されている。科学者・医者というと、必ずといって良いくらい「白衣」を来て現れるのは、その象徴とも言えるだろう。

 (一) 序のための序:道草

 科学者・医者は白衣を着ていないとサマにならないみたいな社会通念は、科学者の目から見ると滑稽である。白衣を着た医者がずらりと並んでテレビに映っているのを見ると、医者としての彼らの基本姿勢・見識を疑いたくなる。もちろん新品か、少なくともきれいに洗濯した白衣を着て出演しているのだろうが、汚れているかどうかではなく、彼らが白衣を日常茶飯に間違った方法で着用しており、その間違った概念を社会に撒き散らす心の姿勢の問題である。

 かつてSTAP細胞問題で日本中が騒然となっていた頃、筆者はブログで実に35回に亘って様々な視点から取り上げた。その一つに、小保方氏が「割烹着」で実験をすることの様々な危険性を指摘し、同時に白衣もまた、実験着として殆どの場合好ましくなく危険であることを説明した。医者の上着としては大抵構わないが、但し、病院の外へ白衣のまま出て行かないという条件下である。病院は世の中で一番、雑菌や病原菌がウヨウヨいる場所であり、それら菌が最も付着し易いのは、医者の白衣や看護師の着衣である。何しろ、病院・医院は本来健康な人が訪れる場所ではないからである。薬や病原菌が付いている危険性の高い白衣のまま、病院の外へ出かけるとは不届き千万である。

 外科医の手術着はあの裾のヒラヒラしたゆったりした白衣ではなく、重装備した動きやすい仕事着であることを知らない人はいないだろう。実験科学者も同様であり本当に体を動かして実験をする時は、白衣は不便・不都合・危険な着衣である。裾が広がっていないジャンパーのような短い上着とズボン、そして薬品や重いものが落ちても足を傷つけない靴を履く。扱う試薬や器具如何によってはゴーグルを着用する。この頃、女性は長い髪が流行っているが、それは遊ぶ時にはよくても働く時のスタイルではなく、まして実験をしたり、患者と接したりする時には非常に危険である。髪の毛に火が付いたり、薬品が付いたり、様々な菌を空気中から効率よく掻き集め、それを四方八方に撒き散らすのに最も効率のよい「恐ろしい道具」なのである。

 科学者は、「白衣」で象徴される外見で著しく誤解されているように、内容に関してもまた、同じ大きな誤解が蔓延している渦の中に翻弄されているのである。

 (二) 宗教と科学は相容れないか?

 「自然科学」は、理論科学であっても最後は実験によって確かめられる必要があり、そのような「自然科学」は、信仰の理由をあえて求めたりはしない宗教とでは相容れないと、少なくとも日本では広く信じられている。そして、信じ、拝む対象は、天然現象や太陽・月・星・山・川などの自然だったり、生きた人間や故人となった有名人だったり動物であったり、石や木材を手で工作した仏像や人や動物等であったり様々であるが、尊いと信じ、拝む理由を求められたりしない。

 宗教とは? 科学とは? そして、この両者の関係はどのようであったか、現在どのようなものであり、どのようなものであるべきかなどを、考えてみたいと思う。

 [Ⅱ] 科学と宗教が乖離していなかった社会

注・・・乖離(かいり)とは、本来、密接に結びついているべきものが背き、離れて、バラバラになること。馴染みのない言葉ではあるけれども、どの同義語を当てはめても、一語ではしっくり言い表せないので敢えてこの言葉を採用した。

 (一) ニュートンの著作「~~の数学的諸原理」

 1687年にニュートンが発表した著作名は「『自然哲学』の数学的諸原理」なのであって、「『自然科学』の数学的諸原理」ではなかったのである。17世紀において、現在、「科学」と言われる研究を行っていた人々は、自身のことを「自然『哲学者』」と自覚し、そのように称していたのである。

 そして、その実質・名称は現在も生き残っていて、実は科学する者の証として与えられる最高位の「博士」という称号は、本来は「哲学博士」なのである。研究する対象が文系の学問であっても理系の学問であっても、実態は等しく「哲学博士」であるべきであり、確かな哲学・世界観の土台に基づいて研究した成果に対して与えられる学位なのである。日本語は、法学は法学博士、文学・歴史・心理学・哲学等は多分文学博士、薬学は薬学博士、物理学・生物学・化学などは理学博士・・・(日本の制度は少し奇妙で、同じ研究論文でも、理学部が授与する場合は「理学博士」、薬学部が授与する場合は「薬学博士」であるが、この際それは問題ではない)・・・つまり、哲学博士という称号ではないということである。

 それが、英語では全部「哲学博士」「Doctor of Philosophy」略して「PhD」である。日本の理学博士を「Doctor of Science」と英語訳をすると誤訳であり、これはヨーロッパでは一段格の低い修士と博士の間の学位だったそうである(現在もそうであるかどうかは知らない)。学問の対象が物理学であっても生物学であっても、等しく哲学的思索に基づいた学問であるということであり、哲学的思索に基づかない学びは、如何に技術的に高度なレベルに到達しようとも、学問・哲学とは別のものと見なされるのである。

 ついでに書き添えると、教育体系が日本と異なる西欧社会は、医学関係は別の取り扱いをしている。医学部を卒業すると医学士(Medical Doctor, MD)であり、その上の称号である医学博士という学位はない。したがって、MD, PhDを名乗るアメリカ人は、医学以外の別の学問、例えば物理学を学び、理学部へ研究論文を提出し、日本流に言えば、理学博士の学位を取得したということである。日本人が医学士になり、さらに医学に関する研究をして医学博士の称号を与えられ、医学士・医学博士を名乗っても日本語的にはおかしくないが、これを英語にして、MD, PhDを名乗ると、厳密には肩書き詐称である。

 (二) 近代自然哲学の誕生・発達は、なぜキリスト教圏で興ったのか?

 「キリスト教」と「科学」との関係を考える時、多くの人々が「ローマ・カトリック」に弾圧された「科学者ガリレオ(1564-1642)」を思い浮かべるように、科学と宗教は対立し、闘争するものとして捉えられてきた。しかし、これはキリスト教会が科学を迫害したのではなく、当時、学問・教育の中心であった教会の古い科学と、真摯なクリスチャンであったガリレオの新しい科学との対立に他ならなかったのである。

 ガリレオは、「我々の目の前に広げられているこの巨大な書物・宇宙に、哲学は書かれている」と述べている。これは、ケプラーやコペルニクスなどの天文学者が共有した理念であった。また、「神は聖書の御言葉の中だけではなく、それ以上に、自然の諸効果の中に、そのお姿を現わし給う」と言及している。これは、パウロが次のように述べていることを、ガリレオが別の視点から自分自身の言葉にして言ったのである。

 神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められる・・・(ローマ1・20)

 ガリレオに先んじて地動説を説いたのは、カトリックの司祭であり天文学者でもあったコペルニクス(1473-1543)で、彼は、「学者の仕事は、神に許される範囲で真理を探究することだ」と言って、神が真理へ導かれるという御言葉を心の底から信じていたのである。(箴言22・21,詩25・5)

 このように近代自然哲学は、西洋の思想・文化の中で誕生し成長した。十六~十七世紀の人々にとって、自然に関する知識は、神の御業や計画に関する知識・知恵から派生しているという前提は自明のことだったのである。基本的にはキリスト教的な世界観・人間観・死生観・自然観・学問観・知識観によって西洋の土壌が形成されたのであり、その哲学の土壌に近代科学の細い根が広がり芽を出し、培われ、成長したのである。(ローマ11・33、箴言2・5、6)

 不世出の天才、近代科学を興した重要人物の一人、ニュートンは、「自然哲学の根幹は、神の属性や神と自然界の関係を探求することなのだ」とはっきり述べている。「太陽、惑星、彗星からなる最も美しい系は、知性と力ある存在の配慮と支配によってのみ発生しえた」と言い、神のことを知り神と自然の関係を知るために自然哲学研究に没頭したのである。「いかなる世俗の歴史よりも、聖書の中にはより確かな真理が存在する」とも述べた。

 そして、「至上の神は、永遠、無窮(むきゅう)、まったく完全なお方であられる」(プリンキピア)ことを信じていた。したがって、宇宙全体を支配している普遍的な法則が存在するとの信念に立っていたのであり、「万有引力の法則」・・・物体と物体の間に働く引力の大きさは、それらの物体の質量の積に比例する・・・を発見するに至ったのである。

 上に簡単に紹介した自然哲学者(科学者)以外にも、何の葛藤もなく神を信じる自然哲学者が大勢いた。彼らにおいては、「宗教」と「自然哲学」とは一体化しており、現代の日本人がしばしば問いかける「宗教と自然科学とどのように折り合いをつけたのか?」というような質問は、実は彼らにとっては理解に苦しむ愚問なのである。その事情は、欧米諸国では現代でもある程度は事実である。

 [Ⅲ] 日本文化の自然への視点

 近代自然哲学・科学が、なぜ仏教圏や儒教圏ではなくキリスト教圏で興り、発達したのか? 科学史を研究する歴史家は次のように説明する。「天地宇宙が神によって創造されたなら、それがどのように造られ、どのような法則によって保たれているのかを具体的に研究することは、価値のあることだ」という信念があったからだ。

  (一) 日本の心を彷彿とさせる絵画

hza_christianity_and_science_2.jpeg 周囲を海に囲まれ土壌も空気も湿気を含んでしっとり落ち着いている美しい自然が、日本人独自の豊かな心や文化を育んだのである。日本の山や川のたたずまいは穏やかで、人に挑むような風情ではなく、人や動物を包み込み互いに受け容れ合う関係と見なされる。自然は時には隠していた牙をむき出して人間を破滅させる「荒々しい」裏の顔を見せる。「暴力」によって人間を蹂躙した自然が破壊活動を終息し、再び平常の穏やかさを取り戻した時に、日本人は和やかな自然と和解し、美を見出し、安らぎと慰めを受ける。

 雪舟の墨絵の山水画に代表されるように、日本人の自然を観る目は限りなく優しい目である。日本絵画史を辿って見ると、室町幕府の御用絵師だった狩野正信が始祖となった狩野派は、現在でもその名前を知らない人はいないほどの絵画史上最大の群れとなった。以後、室町時代中期(十五世紀)から江戸時代末期(十九世紀)まで、約四百年にわたって活躍し、多くの優秀な画家を輩出した。それ以外にも、本阿弥光悦と俵屋宗達が創始し、尾形光琳等が発展させた光琳派など多くの画家が活躍し、これら日本画家の絵画はいずれも穏やかなたたずまいを示し、自然を受け容れ、融和した作品である。

 (二) 日本文学の世界

 日本の代表的文学としてしばしば語られる短歌や、俳句の世界が日本人の心である。古今和歌集に収められている紀友則の和歌は、日本の心を見事に映し出している。

 ひさかたの 光のどけき 春の日に

 しづ心なく 花の散るらむ     

「こんなに日の光がのどかに射している春の日に、桜の花はどうして心を静めないで散っているのだろう」と、桜の花が散っていく美しい光景に見とれ、このように素直に描くのは、まさに日本人の心を代表するものだろう。

 古池や 蛙(かわず)飛びこむ 水の音

有名な松尾芭蕉のこの俳句から、シーンと静まりかえった風景を思い浮かべて、感動して味わうのが日本の心である。

 自然をそのまま受け入れ、融和する日本人の伝統的な自然観、感性を持ち、優しい文化的な営みに心を和ませている日本人は、自然現象を分析し対決する科学への道を歩まなかったのである。自然と対決する西洋的な自然観とは180度、逆の視点・態度である。西洋では、穏やかな自然も様々に猛威をふるう自然をも共に分析し学び、挑戦する。日本人の伝統的な自然観では、挑戦してねじ伏せようという考えは、本来的には逆立ちしても生まれては来なかったのである。

  一応、附記するならば、これは「善い、悪い」の問題とは関係は無い。その後、日本は西洋流の科学と科学技術を取り入れ、遅れを取り戻すべく猛突進し始めたことは、周知の事実である。

[Ⅳ] 結語

あなたは主を畏れることを悟り、神を知ることに到達するであろう。知恵を授けるのは主。主の口は知識と英知を与える。(箴言2・5-6、新共同訳)


 参考文献 「科学者とキリスト教 ガリレイから現代まで」 渡辺正雄著 (1987) 講談社

「科学の歩み 科学との出会い 世界観と近代科学」上 渡辺正雄著 


出典元:ハーザーNo.256,2017年2月号