牧師・司祭であり科学者であった人々

神の賜物と召命とは変わることがありません。(ローマ人への手紙11章29節)

 []クリスチャン科学者

 科学者で同時に敬虔な信仰者であった人々、例えば植物学者リンネ、化学・生物学者パスツール、昆虫学者ファーブル、化学・物理学者ファラデー、天文学者コペルニクス、数学・物理学者ニュートン、物理化学者ケルビン、そして有名なガリレイなど、かなり大勢知られている。これら有名な人々については、機会があれば順番に紹介したいと思うが、この稿では、牧師あるいは司祭であることと同時に科学者として重要な使命を果たした人々のうち、三人を紹介する。

なお、しばしば自然哲学者という表現をするが、二月号で紹介したように、現在使われている自然科学という言葉は本来自然哲学であり、確かな哲学に基づいて研究されるものであり、その研究が広範囲に及んでいる場合は総括的言葉である自然哲学者という表現にした。

 [Ⅰ] 物理学者ジョン・ポーキングホーン

() 科学者・信仰者として

220px-Johnpolkinghorne.jpg1930年英国で生まれる。相対論的量子力学の創始者であるポール・ディラック(ノーベル賞受賞者)の下で研究し、素粒子物理学研究によりケンブリッジ大学において35歳で博士号を取得した。1968~79年まで、同大学の教授。引退後は神学を学び、1982年にイギリス国教会の司祭となった。また、1988~96年まで、ケンブリッジ大学のクィーンズカレッジの学長を務めた。

 学術論文以外にも数多くの著作を発表しており、「科学者は神を信じられるか ―クオーク、カオスとキリスト教のはざまで」(「粒子、混乱、そしてキリスト信仰」:原題の直訳)」「量子力学の考え方」「科学時代の知と信」「世界・科学・信仰」等は日本語に翻訳されている。翻訳されていないかも知れないものに「一つの世界:科学と神学との相互作用」「物理学者の信仰」「科学と創造」「真理を探究して」(筆者の仮訳)等々、実に数多くの著書が出版されている。

  物理学者としての研究、学識に裏打ちされ、信仰者としても究めた達人の深い思索、「科学と信仰・いのち・人生」の問題に関して簡単に語ることは出来ないが、その片鱗だけでもこの小文で伺い知っていただければと思う。科学的であることが正しく、絶対であると過度に科学を信頼する習性を身につけてしまっている科学絶対主義の時代に生まれ育った私たちは、科学と信仰を対立するものと無意識下に捉えてしまっている。

本稿では、「科学者は神を信じられるか」の要約を紹介するだけに留めざるを得ないが、一流の科学者が何故キリストを信じるのかが明快に理解できる書物であり、多くの人にぜひ読んでもらいたい本である。

 () 科学者・信仰者の思索 

 「科学者は神を信じられるか」は、次のような八章で構成されている。一章:論より証拠? 二章:創造主である神はいるのか 三章:この宇宙では何が起こってきたか 四章:そもそも我々は何者なのか? 五章:科学者は祈ることができるか 六章:奇跡をどう考えるか 七章:ひとつの終末論 八章:科学者は神を信じることができるか。

 科学に見切りを付けたわけではなく、司祭になった後も科学者であり学長を務め、彼にとっては科学と信仰は断絶することなく結びついているのである。形而上のことは宗教に任せて形而下の問題は科学が扱うという棲み分けではなく、科学的な考え方や態度の中に、宗教の考え方や態度と同じ物を見ている。すなわち、「科学か宗教か」ではなく「科学も宗教も」で、「真実の探究」という目的において一致し、両者は共に「世界を正しく理解するために必要なもの」であるとしている。

 この世界が斯くも合理的で、かつ美しく見えるのは、神の心を見ているからである。内なる世界と外なる世界がこのようによく適合しているのは、この両者が共通の起源をもっているからであり、その共通なものこそ創造主の理性であるという。

 神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められる(ローマ1・20)

 昔、筆者は無神論の科学者として人生を歩んだ後、イエス・キリストに辿り着いてこの御言葉に接し、「何故自分は解らなかったのだろう」と痛く心を刺されたことを思い起こす。

「完全な理論に到達したと思っても、なおその先に私たちを驚かすに足る新しい事実が発見される可能性」が常に存在しており、世界はそのように推移してきたことを、科学者は歴史から、また体験的にもよく知っている。

 宇宙は神が創造したとしか思えないことのひとつの証拠として彼が挙げている事例は、しばしば示唆されている次のような観察・考察の結果である。「宇宙の温度や密度が僅かでもずれていたら、宇宙には星も生物も生まれることはなかった。そして、その温度や密度が今のような経過を辿る確率は文字通り天文学的に低いもので、偶然には起こりえないことである。」

 () 科学者の祈り

研究に真摯に取り組む科学者たちは、研究が進み自然に対する理解が深まるにつれ、自然の営みやその世界に対し感嘆の念を覚える。その時に意識するにせよ、しないにせよ、それは「祈り」と言っても良いもので、それを創造なさった神の存在を信じるようになっていく。ポーキングホーンは、「科学は物理的実在との遭遇であり、宗教は神聖な実在との遭遇である」という感動的な言葉を残している。

 美を認識することは、脳という物質的存在の感情的な副産物ではない。美を経験することは、創造主と喜びを分かち合うことである。科学研究をすることは、この宇宙に神が与えた合理的秩序を洞察することである。道徳的認識は、神の良き完全な意志を直感することである。

精神は単なる「脳の働き」ではない。意識の創生はエネルギーという言葉で説明される「もの」というより、決定的に「新しい何ものか」である。確かに意識は、脳内で起こっている物理的現象と密接に関連してはいるが、神経細胞の活動電位のパターンとは別のものである。

 彼は、祈りを「人間の意志と神の意志との密着した関係」であるとし、さらに我々が祈るのは「本当に我々が何を望んでいるかを言葉で言い表すように呼び出される」からだと説明している。

 () ジョン・ポーキングホーンの言葉

「我々の住む豊かで複雑な世界を本当に理解しようとするなら、科学と宗教の両方の助けが必要である。科学はそれ自体に限界があり、ある意味で世界を観る視点としては貧弱なものである。あたかも、『音楽は単なる空気の振動』と言い、絵画は『ある化学組成をもった物質を塗りたくったものに過ぎない』と言い切ってしまうようなものである。」

 [Ⅱ] 自然哲学者ロジャー・ベーコン

() 近代科学の父

hza-christian-science-3-_002.jpeg13世紀イギリスの自然哲学者、カトリック司祭で、数学、論理学、神学を研究した。ロジャー・ベーコンはオックスフォード大学で、後にパリ大学で学び、アリストテレスの自然学を継承していた。1240年代にはパリ大学の教授となり、アリストテレスの著書について講義した。その後、ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語を学び、当時の聖書翻訳の不正確さを指摘した。また、神学研究の改革を提唱した。

 もともとは抽象的な議論で論争する学問の道を歩んでいたが、後に理論だけでなく経験や実験観察を重視し、近代的な科学的手法を導入して、イギリスにおける科学分野の先駆者となった。占星術に強い関心を持っていた彼は光学を研究して、望遠鏡の原型のような装置を作った。また、火薬の調合方法を見つけた。そのあらゆる分野に於ける知識の豊かさ、深さから、当時の人達から「驚異博士」とも呼ばれた。彼は、実験的方法が自然研究には不可欠で本質的であることを確信しており、実験の結果と従来の伝統的、アリストテレス的考え方とが合わない場合は、容赦なく伝統的考え方を批判し、攻撃したので、徐々にフランシスコ派内部に多くの敵を作った。

 ベーコンの自然科学的側面を重視しすぎ、彼を唯物論者的に評価する科学史家もいるが、彼はあくまで宗教者であった。彼は「聖書」に全ての知識が含まれていると確信していたし、実験や経験を重要視しながらも、最終的な真実は「霊的」な啓示にあると信じていた。

 () ベーコンの著書

「大著作」、「小著作」と「第三著作」を著した。特に「大著作」は、数学、光学、化学、哲学、論理学等をひとまとめにした百科事典的な大書であり、宇宙の規模についてまで言及している。

「大著作」は七部構成で、あらゆる学問の最終目標を宗教的なものに置いている。

一部:真実の追求を誤らす四つの原因として、既成の権威によりかかること、習慣からくる先入観に固執すること、大衆の意見におもねること、見せかけの知識をふりかざすこと等を挙げている。二部:神学と哲学。三部:正確に原典を読み、訳すための言語研究。四部:数学。五部:光学。レンズの光の屈折に基づいて研究。凹面鏡についても、顕微鏡や望遠鏡の発明を予測する様な文章を書いている。六部:科学研究に於ける実験の重要性について述べ、現在の飛行機、自動車、汽船、潜水艦の様な機械を作ることができるであろうと述べている。七部:道徳哲学はすべての知恵の目標であり、神学にもっとも近く、神学を補佐する学問であるとする。

 () ベーコンの思想の後継者

ロジャー・ベーコンは自然科学の発展史において無視できない人物の一人であるが、晩年は不遇であった。フランチェスコ派内の神学論争で異端とされ、1278年から14年間、パリで幽閉され、1292年に同郷の貴族の助力により解放されるが、2年後死去した。ロジャー・ベーコンの業績は、宗教家による迫害によって叩きつぶされたように見えるが、徐々にその真価が見直され始めているようである。

 ベーコンに対する激しい迫害について、ホワイトは次のように述べて宗教家を非難している。「この世に現れたすべての無神論者の努力を全部合計しても、それでもなお、ロジャー・ベーコンを迫害し、ベーコンが命がけで開拓した道を閉鎖した偏狭な宗教家の方が、彼ら無神論者以上にキリスト教と世界とに損害を与えたのである。」(「科学と宗教との闘争」、p107-112)(マタイ12・25)

 彼の思想はジョン・ディー(1527~1608、錬金術師、占星術、数学者)に受け継がれ、やがて同姓の哲学者フランシスコ・ベーコン(1561~1626、自然哲学者、神学者、「知識は力なり」の名言で有名。単にベーコンと言った場合はこの人物を指すようである)に受け継がれ、後世に大きな影響を及ぼしてゆくのである。

[Ⅲ] 牧師科学者コトン・マーサー

() 人痘接種を実施した卓見

hza-christian-science-3-_004.jpegコトン・マーサー(1663~1728)は、米国の牧師で科学者であった。天然痘の恐ろしさは現在忘れ去られているが、非常に感染力が強く、全身に膿疱を生じ、致死率は時には50%にも及び、国や民族が滅びる原因になったことさえある。仮に治癒しても醜いあばたを残すために、不治の病、悪魔の病気と恐れられた。

 当時ボストンを襲った天然痘に際して、天然痘患者の膿を直接すり込むと有効であるという論文を精査し、大部分の医者はマーサーに猛反対したが、呼びかけに応じた医者が実施に踏み切った。家に爆弾を投げ込まれるような様々な妨害があったが、最終的に接種が有効であるという明確な結果が出たのである。ジェンナーが1796年に種痘(牛痘接種法)を発見した、実に80年も前のことだった。

() 牧師が自然科学を学ぶように奨励

コトン・マーサーは牧師科学者として、聖書を学ぶ熱心さで「宇宙ないし自然という書物」を研究し、何冊かの書物を出版した。そのうち「キリスト教自然学者」では、科学は宗教にとって敵ではなく、有力かつ強力な刺激であることを立証している。また、「牧師志願者の指針」では、神の創造のわざである「自然の書」を学ぶ事は、神の言葉である「聖書」を理解する上で極めて有益であると述べ、牧師となる人々に自然科学と数学を学ぶことを強く奨励している。

[Ⅳ] 結語

不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。(ローマ書1章18節、新共同訳)

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参考文献:「科学者は神を信じられるか ―クオーク、カオスとキリスト教のはざまで」(ブルーバックス) ジョン・ポーキングホーン著、小野寺一清訳。「科学と神学 ―科学者・神学者ジョン・ポーキングホーンの見る相互作用」。本田峰子著、科学と神学。「ロジャー・ベーコンにおける宗教と科学」 降旗芳彦著、実践女子大学文学部 紀要 第55 集。「科学と宗教との闘争」 A.D.ホワイト著、森島恒雄訳、岩波新書。「アメリカにおける人痘接種法」小田泰子著、日本医史学雑誌四十四巻三号


出典元:ハーザーNo.257,2017年3月号